第773話 あれこれ考える男 3
(前回からの続き)
何しろ総合診療科外来に紹介されてくるのは、他の医療機関で診断のつかない病気ばかりだ。
当然のことながら、こちらでも診断に苦労する。
もし、この左側胸部痛の患者が何かの疾患で死んだとしよう。
それで「なぜ専門家に診察を依頼しなかったんだ」と訴訟を起こされても、それは無茶というもの。
なぜなら左側胸部痛の原因となる疾患の専門家がどこにいるか分からないからだ。
肺癌なら呼吸器内科、心疾患なら循環器内科、そしてヘルペスなら皮膚科ということになるが、それが分かるくらいなら紹介元のクリニックも最初からそちらに送るはず。
敢えてオレが反論するなら「専門家は病理ですよ。なぜなら解剖しないと原因が分からないからです」という事になる。
もちろん、そんな皮肉は原告にも裁判所にも通じないだろうけど。
それはともかく、あらかじめ送られてきた診療情報提供書を頼りに原因疾患を推理することにした。
患者の訴えをひとことで言えば「風呂に入ると体調不良になる」という事だ。
そうであれば、風呂に入る事による生理的変化は何か、ということをまず考えなくてはならない。
一般的には以下の通りだ。
・体温は上がる
・脈拍は増える
・血圧は上がったり下がったりする
浴槽に浸かっているときは静水圧で体表の血管が押しつぶされ、その結果、血圧は上がっている。
が、浴槽から出ると静水圧がなくなるばかりか、体温上昇によって末梢血管が拡張するため血圧は下がってしまう。
だから「血圧は上がったり下がったりする」という表現になる。
これらの生理的変化によって胸が痛くなり時間とともに解消されるのであれば、やはり冠動脈が原因だろうか。
冠動脈というのは心臓を取り巻く血管で、心臓自身に血液を供給している。
その血液供給が不足すると心臓が痛くなり、これを患者は「胸が痛い」と訴える。
医学的には「絞め付けられるような痛み」という意味の「絞扼感」と記述する事が多い。
血液供給の不足が解消されると痛みが改善する。
この血液供給の不足というのは需要とのバランスになる。
だから血流が一定であっても階段を昇ったり走ったりした場合、心臓の血液需要が増すので相対的な血液供給の不足により胸痛が出現する。
階段やランニングと同じように入浴も心臓の血液需要を増やすのだろうか?
体温上昇はともかく、脈拍が増えれば間違いなく血液需要は増すはず。
以上をまとめると、もしこの患者の胸痛が冠動脈疾患によるものと考えた場合、入浴によって心臓への血液供給が不足したか心臓の血液需要が増加したか、という2択になる。
これ以上は本人から詳しく症状を聴きとるしかない。
仮に現時点で「冠動脈疾患が疑われます」という事で循環器内科にコンサルを出してもあっさり蹴られるだろう。
そんな込み入った訴えに彼らは興味ないからだ。
「心電図も負荷心電図も、念のために行った3D-CTAによる冠動脈造影でも正常です。当科的疾患ではありません」と否定されるばかりか「心因性のものが疑われるので精神科受診をお勧めします」くらいの事は言われかねない。
そんな事をあれこれ考えている間に患者の受診日がやってきた。
で、実際に患者を診察してみると色々予想外の情報が出てきたが、それは次回に述べたい。
(次回に続く)
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