第762話 国家試験に苦しむ男

 以前にも述べたとおり、オレは病院附属の看護学校で教えている。

 1年間で何コマという程度だけど。


 以前は脳外科だけ教えていれば良かった。

 が、看護学校の方も人手不足なのか、教える範囲が徐々に拡がっていく。


 今年度からは神経解剖も教えることになった。


 オレが医学生の時の解剖の先生は必ずしも疾患に詳しくなかった。

 勢い講義は知識の伝授にかたよってしまい、何が面白いのか意味不明だった。

 人体に200個ほどある骨の名前とか、頭蓋骨に数十個あるあなの名前だとか、それらをひたすら暗記させられる毎日。

 こんなものが何の役に立つのか、と不満たらたらだった。


 ところが脳外科医になったら、頭蓋骨にはむしろ名前のついていない重要なあなが沢山あることが分かる。

 いや、何かマニアックな名前がついているのかもしれないが、少なくとも解剖の講義では習わなかったものだ。


 だから、看護学校でのオレの授業では役に立つ解剖を教えようと思っている。

 この人体構造がどのような働きをしているのか。

 もし、この構造がそこなわれたらどんな不具合があるのか、そしてどのような疾患が発症するのか。

 そうすれば看護学生の満足度も高いはず。


 そもそも脳外科医たるもの解剖を知らずして手術なんかできるわけがない。

 だから大した準備は必要ないはずだった。


 ところが看護学校から郵送されてきた教師用教科書をみて仰天した。

 まずは神経細胞の構造から始まっている。


 ニューロンだ、樹状突起じゅじょうとっきだ、ゴルジ腱器官けんきかんだ……って勘弁してくれよ。

 さらに読み進めると筋紡錘きんぼうすいだとか静止電位とか脱分極だつぶんきょくだとか。


 確かにそんな用語を学生時代に聞いたような気がする。

 でも、今となっては何もおぼえていない。


 とにかく一から勉強するしかない。

 その上で、それぞれの構造が人体の中でどのように働いているのか、どのような疾患に関係しているのか、その事にできるだけ言及げんきゅうしよう。


 とはいえ、対応する疾患を思いつかない事もある。

 そんな場合には看護師国家試験を例に出そう。


「君たち。こういう形で国家試験に出るから、ちゃんと理解して記憶するように」


 そう言っておけば学生も真面目に勉強するだろう。

 で、ネットで調べて過去の看護師国家試験の問題を解いてみた。


伸張しんちょう反射の構成要素はどれか。2つ選べ」


 何だ何だ何だ!

 伸張反射って?

 いきなり難しいのが出ているじゃないか。

 とりあえず……パス。


 次だ。


「活動電位について正しいのはどれか」


 よし、神経細胞の活動電位なら何とかなりそうだ。


1. 脱分極が閾値いきち以上に達すると発生する。

2. 細胞内が一過性にマイナスの逆転電位となる。

3. 脱分極期には細胞膜のカリウム透過性が高くなる。

4. 有髄ゆうずい神経ではプルキンエ細胞間隙さいぼうかんげき跳躍伝導ちょうやくでんどうする。


 おいおい、プルキンエ細胞間隙ってのは何だ、聞いたことないぞ!

 跳躍伝導ってのは確か……ランビエ絞輪こうりんじゃなかったか?


 そうするとたぶん「4」は誤りだ。

 でも残りの3つの中から正解を選ばなくてはならない。

 確率3分の1かよ、トホホホホ。


 でも、こんなものはまだ序の口だった。


(次回に続く)


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