第761話 引け目のなくなった男

「先生のお蔭で引け目を感じなくなりました」


 そう言って脳外科外来でオレに感謝したのは中年の男性患者だ。


 彼は出生時の障害で左半身に軽い麻痺がある。

 だから身体障害者手帳を取ろうと思ってオレに相談していたのだ。

 ごく軽度の麻痺だから日常生活や仕事にはほぼ差し支えない。


 身体障害者手帳の1級を持っていると医療機関にかかった時の自己負担が安くすむ。

 確か自己負担の最高が月に3000円くらいだったと思う。

 だから持っているメリットは大きい。


 しかし5級とか6級とかだと現世利益はほとんどない。

 それでも取得する意味はある。


 1つの例として駐車する時に優先スペースを使うことが出来る。

 普通の駐車スペースが一杯でも優先スペースが空いていることはよくある。


 それだけではない。

 電車に乗った時にも助かる。


 というのも、この男性、電車の優先座席に座っていると結構な確率で注意されるらしい。


「そこは優先座席ですよ。お年寄りに席を譲ってあげたらどうですか?」


 いくら麻痺が軽くても健常者に比べると立っているのは遥かにつらい。

 だから座りたいし、人に席を譲りたくないのも当然だ。

 でも見かけが普通だから注意されても言い返せない。

 渋々立ったら、登山服姿の高齢者が当然のように座る。

「登山できるくらい元気なら立っていたらいいじゃん」と言いたいところを我慢する。

 もちろん周囲の誰もその矛盾を指摘しない。


 だから身体障害者手帳が欲しい!

 何か言われたら黙って手帳を見せるだけで話が済む。


 まるで水戸黄門の御印籠のようなものだ。

 普通の人は障害者手帳の等級が1級だとか6級だとか、そこまで確認したりしない。

 だから「あなたの障害者手帳はただの6級じゃないですか」といった指摘をされる事もないはず。


 そんなわけでオレは身体障害者手帳申請のための意見書を作成した。

 例によって屁理屈をこねくり回して上位の等級を狙ったが、1段階下で認定された。


 それでも患者は大喜びだった。


「市内のバスが無料になりました」


 なるほど、多少のメリットはあったみたいだ。


「優先座席に座っていても引け目を感じずに済みます」


 この患者、心なしか表情も明るくなったように思う。


 手帳1つの事で明るく楽しく生きてもらえれば、オレとしてもこんなに嬉しい事はない。

 前向きになった事こそ最大の御利益だったのだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る