第759話 就職する女

「先生、就職が決まりそうなんよ」


 そうオレに声をかけてきたのは看護師の老沼綾子おいぬま あやこだ。

 彼女は3年ほど前に定年になった。

 その後は勤務延長制度を利用して働いていた。


 とはいえ給料は現役時代よりずっと減った。

 それに勤務延長といっても限度がある。

 たしか3年間だったか5年間だったか。


 だからオレの顔を見るたびに「どこかいい所ない?」と尋ねてきていたのだ。


 医療従事者というのは職種にかかわらず常時人手不足だ。

 だから次は簡単に見つかるだろうとオレは思っていた。

 が、そうでもないらしい。

 特に年齢制限があって大体60歳から65歳を境に急に求人が減るのだそうだ。


 求人があったとしても夜勤専従やきんせんじゅうとか。

 勘弁してやれよ、年寄りに何をやらせるんだ!


 とはいえ、人間は誰しも食っていかなくてはならない。

 だから、独身の老沼おいぬまナースは職探しを続けた。


 そんな彼女がある日の事、ハロワで「これだ!」という求人を見つけた。

 近くのクリニックで、当然ながら昼間だけ、というもの。


「この前、面接に行ってきたら、向こうの院長が丸居先生を知っていたみたい」

「えっ、どこのクリニック?」

桜月おうつき内科ってとこ」

「おお、桜月先生か。よく知っているよ」


 桜月内科には何度も患者を紹介した。

 オレが患者の生活習慣から何からすべてを管理するのは難しい。

 だから近所の開業医にお願いするのはよくある。

 桜月春太郎おうつき はるたろう先生は特に患者からの評判が良かった。


「あの桜月先生っていい人だからさ」

「そうみたいね」

「くれぐれも注意してくれるかな」

「注意するって?」

「いつもニコニコしておくこと」

「うん」


 老沼ナースは時に不機嫌さを隠さないことがある。

 人を相手にする仕事では致命的だ。


「陰で患者さんの悪口を言わないこと」

「私、言ってないけど」

「悪口だけじゃなくて噂話も言ったらダメだぞ」


 彼女は昭和を引きずっているのか、しばしば陰で患者の悪口を言う。

 相手の耳に入らなければいい、と思ったら間違いだ。

 口にした事は必ず態度に出てしまう。

 何より一緒に働いている職員が不愉快な思いをする。


「そういうの、院長先生に注意されてからキャラへんするのもみっともないだろ」

「……」

「最初からニコニコい人で行こうぜ」

「そうかな、やっぱり」

「頼むからその線で行ってくれ。次はないから」


 オレが頼むってのも変な話だけど……

 個人が経営するクリニックでの院長は絶対的な存在だ。

 大病院では見逃してもらえていた事がそうもいかなくなる。


 大丈夫かな、この人。


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