第751話 逆に驚いた男 2

(前回からの続き)


「それでんねん。ハロワに行って職探しをしているんやけど」

「障害者枠だったら広き門じゃないんですか」

「年齢制限で引っ掛かりまんねん」


 そんなものがあるのか!

 どこの企業でも障害者枠を埋めるのに必死じゃないのか?


「だいたい65までは雇ってくれるんやけど、それを過ぎたら急に難しくなるみたいで」

「元の仕事に関連したもの以外に視野を拡げてみてはどうですか?」

「介護や清掃の仕事やったらあるんやけど」

「それだったらいいんじゃないですか!」


 介護業界は慢性人手不足なんだろう。


「やるとしたら介護の方やと思っているんやけど」

「人を相手にする仕事はやめておいた方がいいんじゃないですかね」


 同僚にすら怒鳴ってしまう人が認知の入った老人の相手なんかできるわけがない。

 相手が高齢者だから仕方ないと頭では分かっていても、面と向かって罵られたら誰でも腹が立つ。

 ましてや沸点の低い鬼怒田さんのこと、初日で暴力沙汰になってしまうかもしれない。


「でもワイに清掃ができるかなあ」

「清掃こそピッタリじゃないですか。人と関わらなくて済むし、自分のペースで出来るし」


 オレのアドバイスに鬼怒田さんは真剣に考えているようだ。


「そうそう、鬼怒田さん。職探しをしている間に家事をやったらどうですか」

「ワイは家事をやった事ないし」

「えっ! 全く家事をしないんですか」

「せえへんなあ」

「逆に驚きますねえ、それは」


 確か奥さんは働いていたんじゃないかな。

 だから受診は1人の事が多い。


「職探しをする一方で家の掃除とか洗濯とかしてあげたら奥さんは随分助かりますよ」

「そんな事いうけど、先生は家事とかやってんの?」

「やるに決まってるじゃないですか。洗濯物とかは洗って干して畳んでるし、皿洗いはいつも僕がやってますよ」

「ホンマかいな」

「当ったり前でしょう! 家内は料理が趣味なんで僕の出る幕はないけど、後の皿洗いはやっておくと感謝されますね。『すぐに料理にとりかかれる』って」


 鬼怒田さんは釈然としないようだ。


「ワイは建築関係で忙しかったから」

「前は忙しくても今は暇なんでしょ。やらない理由があるのかな」


 そもそも鬼怒田さんがオレより忙しいはずがない。

 夜中でも休日でも容赦なく病院に呼び出されるし。

 私生活なんか無いも同然だった、ちょっと前までは。


 ようやく私生活を取り戻したのは身体を壊してしまったからだ。

 振り返ってみればあれは狂気の生活だった。

 何でやることができたのかというと、周囲の全員も私生活なしで働いていたからだろう。


 ブラック企業そのものだけど、ある意味では懐かしい気もする。


 それはさておき。


「家事こそ生活の基本ですよ。真面目にやっていたら他人ひとに対して腹も立たなくなるし」


 オレがそう繰り返して言ったら、だんだん鬼怒田さんもその気になったようだ。


「ワイもちょっとは料理を憶えようかな」とつぶやきながら帰っていった。


 そうそう、オレが皿洗いや洗濯物畳みなんかの単純作業を機嫌よくできているのは、YouTube を聴きながらという裏ワザがあるからだけど。

 それを鬼怒田さんに伝授するのは、もう少し修業を積んでもらってからにしよう。


(「逆に驚いた男」シリーズ 完)


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