第748話 女子大を辞める男

 オレの知り合いのドクターは女子大の教授をしている。

 近所の大学の先生になる、というのは医師のキャリアパスの1つだ。


 先日、その先生と久しぶりに話す機会があった。


「女子大はもうめようと思っているんだ」

「やっぱり給料が安過ぎるからですか?」


 オレはストレートに尋ねてみた。


「それよりも学生のレベルが下がってしまって」

「まあこの少子化ですからね」

「もう名前さえ書ければ全員合格させているんだ」

「ええっ!」


 名前さえ書ければ合格というのは都市伝説かと思っていたら実在していたんだ。


「5~6年前はこんな事なかったんだけどなあ」


 給料の多寡たかにかかわらず、そういう学生を教えるのもつらいだろう。


「やっぱり学級崩壊とか起こっているんですか?」


 まさか校舎の中をバイクで走る馬鹿はいないと思うけど。


「さすがに令和だし女子大だし、みんな大人しく座っているけどね」


 他人事ながらホッとする。


「辞めるのは以前から考えていんだけど、大学院生がいたのでこちらの都合で放り出すわけにもいかないからさ」

「責任がありますからね」


 修士課程か博士課程かは知らないが、院生に論文を書かせて公開審査にかけなくてはならない。

 女子大だから無茶苦茶難しいというわけではないのだろうけど、指導教官としては院生の人生を背負った気にもなるだろう。


「でも無事に卒業してくれたんだから、もう自分の事だけ考えていけばいいと思っているんだ」

「そりゃそうですよ」

「辞めるなら今だろ」


 いいタイミングではあるが、果たして臨床現場に戻れるのだろうか。

 それとも悠々自適ゆうゆうじてき楽隠居らくいんきょ


「まだ子供が小さいから80歳までは働かないと」

「それ大変じゃないですか! その年まで自分が生きているかどうかも分からないでしょ」

「そうなんだよ」


 確か奥さんは一回り以上若かったんじゃなかったかな。

 再婚なのか、それとも別の事情があるのか。

 それはそれで興味深いので、別の機会にでも尋ねてみよう。


「よかったらウチの総合診療科に来て若い連中を鍛えてやってくれませんか?」

「いやいや、一旦臨床を離れると戻るのは怖いからなあ」

「そんな事ないでしょう」

「今でも週1回のバイトはしているけど。総合診療科でフルタイムとなったら厳しいし」


 ずっと続けていれば何でもない事でも、離れてしまったら戻るのはハードルが高いのかもしれない。


「むしろ若い先生たちに僕のリハビリにつき合ってもらいたいくらいだよ」

「必要ならリハビリも任せてください!」


 そう安請やすうけ合いはしたものの、オレだって他人様ひとさまのリハビリをするほど偉い医者でもないんだな、実は。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る