第745話 宿題のない男 11

(前回からの続き)


「ところで先生、あらゆる宿題を無くしてしまったらハッピーだとは思いますが、それで捻出ねんしゅつした時間とエネルギーを何に使おうっていうんですか」

「おっ、それはいい質問だ。何に使うと思う ?」

「釣りだとか家庭菜園だとか、何か趣味をお持ちなんでしょうか」

「まあ趣味があるといえばあるかな」


 思わず「趣味はゲートボールですか」とか言いそうになったオレは辛うじて踏みとどまった。

 そんな趣味を持っている人間にリアルでお目にかかった事はない。

 揶揄やゆとしかとられないだろう。


「ワシがやりたいのは勉強だよ」

「勉強……ですか」


 これはまた意表をついた回答だ。

 そもそも「宿題をしたくないが勉強はしたい」ってのは矛盾していないか。


「勉強といっても色々あると思うんですけど」


 何か古代ローマ文学とか、そういう壮大な勉強なのだろうか。


「普通に医学と英語だな」

「医学と英語って、それは趣味というより仕事じゃないですか!」

「追いかけられない勉強と言ったらいいのかな」


 なるほど。

 勉強は好きだけど宿題は勘弁してくれってやつか。

 子供の頃のオレもそうだった。

 簡単に言えば「テストでいい点数を取りさえすればいいんだろ。だから放っておいてくれ」みたいな感じだ。


 損得勘定なく夢中で百科事典を読んでいたから、小学校のテストに出るくらいの事は何でも知っていた。

 これを医学や英語にあてはめるとどうなるのだろうか。


「患者ってのはこちらの専門に構わず何でも訊いてくるだろ。顔が火照ほてるだの手足が冷えるだの」

「それ、更年期障害じゃないんですか。まさしく先生の専門でしょう」

「いやいや、80歳の婆さんだろうが女子高生だろうが、好き放題に言われるからなあ」

「更年期とは程遠い人たちですねえ」

「とはいえ、そういった症状を不定愁訴だとか自律神経失調症だとか決めつけるのも違うんじゃないか、とワシは思っているわけ」


 さすがに不定愁訴などという病名はないにしても、自律神経失調症という病名をつけられた患者にはしばしばお目にかかる。

 そう診断されてショックを受けている患者もいたが、オレに言わせれば医者の手抜きだ。

 自律神経失調症などという病名は、診断に困った医者がヤケクソでつける病名のことが殆どだろ。

 本気で自律神経失調症というなら、交感神経や副交感神経のどの機能の障害なのか、そこまで突き詰める必要がある。


「だから顔が火照るとか手足が冷えるといった症状に対してもキチンとした診断をつけてやりたいからさ。それで時間をとって勉強をしようと思っているんだ」


 なんかこの人、偉い!

 オレは思わず居住いずまいを正した。


(次回に続く)

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