第741話 宿題のない男 7

(前回からの続き)


「もう1つの経済的自由ってのはお金の多い少ないの話ではないんだ」

「お金の話でありながら、金額の話ではない?」


 これも面白そうだ。


「よく『お金は持ってて邪魔になるもんじゃないから』と言うだろ」

「テレビドラマや映画なんかで使われるセリフですね」

「そうそう。でも、あれは本当か?」

「お金って多けりゃいいってモンでしょ」


 そこに疑いの余地が入るはずもないと思うんだけど。

 誰かがオレに1万円くれたら1万円分嬉しいし、10万円くれたらもっと嬉しいのが普通じゃないのかな。


「ワシはあれを前から疑問に思っていてな」

「先生はお金がらないって思うことがあるんですか?」

「あるね」

「要らないんだったら僕に下さいよ」


 思わず本音を言ってしまった。


「いいよ」

「本当ですか!」

「でも案外難しいわけだな、先生にあげるのも」


 やっぱりオレにくれる気がないのか。


「たとえば年度末の3月15日頃にさ。突然、診療科に予算がついて『3月末までに執行しろ』と言われたりすることが……昔はよくあったんだ」

「そんな時代があったような気もします」

「10万円程度のお金でも急に使えと言われたらなかなか難しいのが現実だ」

「教科書とか手術器具とか消耗品とか、色々買えると思うんですけど」

「そういうのに限って色々な制限がついていて、教科書はダメだとか手術器具は別の予算だとか言われるわけ」


 現在はかなりシステムが改善されていて予算執行は2~3年くらいの猶予がある。


「消耗品を買えば良さそうなんだけど、コピー用紙やテプラテープなんかいくら買っても到底10万円には及ばないからな」

「そうなんですか!」

「使いきれないお金を病院に召し上げられるのも悔しいから『業者に頼んでプールしておこう』と思う奴がいても不思議ではないよな」

「まさか先生、そんな違法行為をしていたんじゃないでしょうね」

「ないない。手が後ろに回るような事をするくらいだったらお金を没収された方がマシだよ、病院経営にも貢献できるしね」


 ある意味、義務的にお金を使うくらい苦しいことはない。

 だったら病院に有効活用してもらった方がマシだ。


「で、ワシが言いたいのはお金関係の雑事ざつじを楽しくやろうってことだ」

「楽しく……ですか」

「少なくともお金の雑事で苦しむのは御免だからな」


「お金で苦しむ」のではなく「お金の雑事で苦しむ」という意味なんだろう。


「家のローンは仕方ないにしても、パチンコなんかで借金を作るのは論外だろ」

「患者さんの中にはパチンコの好きな人がずいぶんおられますけどね」

「パチンコどころか競馬や競輪もやっている人が多いみたいだな。ちなみに先生はギャンブラーか?」

「いやいや、もう人生そのものがギャンブルなんで、他に手をひろげる余裕はないですね」


 産婦人科や脳外科みたいなハイリスク診療科の医者は、みな危ない橋を渡らされている。

 クレームやトラブルは日常茶飯事で、しばしば医療裁判で被告になってしまう。

 それならまだマシな方で、警察沙汰なんかもチラホラある。


 オレたちにとっては「救急外来にかつぎ込まれた瀕死の人が亡くなりました」というのは日常の出来事なんだけど、遺族はそう思ったりしない。

「治療がおかしい。医者に殺された」とか言って警察に通報するわけだ。


 そうなると「お話を伺いたい」と担当医が所轄警察署に招待される。

 もちろん警察の言うお話ってのは雑談ではなく取り調べのことだ。

 その実例についてはあらためて述べることにしよう。


 なにしろ裁判で訴えられたり警察に取り調べられたりしていたら、もうパチンコや競馬といったいとなみがずいぶん平和に感じられる。


 話をお金関係の雑事に戻そう。


(次回に続く)

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