第736話 宿題のない男 2

(前回からの続き)


 産婦人科の部長先生によれば「宿題のない人生」を言い換えると「自分がコントロールできる人生」という事になるらしい。


「たとえばさ、机の上に書類が貯まっているとするだろ」

「ええ、書類山積みの机ってのは見慣れた風景ですね」

「あれなんかは典型的な『宿題に追いかけられている人生』といえるわけだ」


 言いたいことは何となく分るけど、ここはもう少し具体的に説明してもらおう。


「診断書は作成しなくちゃならんし、提出すべき書類も沢山あって病院や役所から『まだですか、まだですか』と催促されるわけ」

「そうですね」

「困っていたら突然に部下の推薦状を頼まれたりするわけよ」


 急に言われても困るよな。


「でも、そういうのは順送りでしょう。先生も昔は誰かに頼んだりしたとか」

「いやいやワシが若いときに上司に頼んだら『自分で書いてきてくれ、判は押すから』と言われてさ。下書きを作って持っていったら『よく自分のことをこれだけ褒められるなあ』と呆れられてさ、あの時ばかりは殺意を覚えたね」

「じゃぁ先生は部下の推薦状を御自分でお書きになっているんですか?」

「書くわけないじゃん。そんなものは ChatGPT にやらせているよ。適当に属性を入れたら瞬時に書いてくれるから便利だね」


 そんな使い方があったとは!

 部下もまさか ChatGPT が推薦してくれたとは思うまい。



 話を書類に戻す。


「なんせ病院をめたら、あの鬱陶うっとうしい書類がなくなるんだから、それだけでも嬉しいよ」

「でも年賀状とか確定申告とかは自分でやることになるんじゃないですか」

「あんなもん、クソ忙しい病院の仕事がなくなったら楽勝だよ……たぶん」


 年を取るほどやらなくてはならない雑事が増えるのは世の常だ。

「あんたは勉強だけしていたらいいんだから気楽なもんよね」と言われていた学生時代、今になって母親の気持ちが分かるような気がする。

 病院を辞めてしまったら、さぞかし時間に余裕ができるだろう。


「書類だけじゃない。服とか本とか整理してしまって、もう気楽に生きたいんだ」

「あんまり物が多かったら把握できないですしね」

「そうなんだよ。だからこの際、どんどん捨てているんだけど」

「不要なものは捨ててから荷物を片付けた方が効率的ですよね、後で捨てるより」


 考えてみれば、必要品+不要品を家に持って帰るのは重い、重すぎる。

 それより病院で不要な物を捨てて、必要品だけ持って帰る方が軽くすむ。


「でも年度末の忙しい時の引っ越しなんて、捨てている暇すらないからな」

「確かにそうですね」

「だから全部ダンボール箱に詰めて、とりあえず持ってかえるわけ」


 部長先生によれば物のコントロールってのは序の口だそうだ。

 いよいよ話は本格的になっていく。


(次回に続く)

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