第725話 英語を習得する男 3

(前回からの続き)


「たとえば心臓外科に配属されている診療看護N P師についてきたいんだけど」

「あまりくわしい事は分からないですけど、知っている範囲でお答えします」


「知っている範囲で」ってのは英語で "as much as I know" くらいになるかな。

 実際に英語にする場合、1文を丸ごと訳すよりも、小さい要素に分けるべきだろう。


「心臓外科の診療看護師だと、手術に入って大伏在静脈サフェナス・ヴェインの採取をしたりするのか?」

「いやいや、それはPAの仕事です」


 PAというのはフィジシャン・アシスタントの略で、ピッタリの日本語はなかったと思う。

 実際、日本にはまだ導入されていない。

 医師の助手となって医療行為を行う職種だ。


「そうすると診療看護師はどういった仕事を?」

「入院患者さんの管理ですね」

「もうちょっと具体的に言ってくれるかな」

「たとえばウチの心臓外科医は3~4人しかいない上に、手術の時は全員が手術室に入ってしまうんです」

「だったら手術中は心臓外科病棟が無医村になっちまうってことか」

「そうなんですよ」


 心臓外科病棟の入院患者数というと20〜30人くらいか。

 中には急変する患者もいるだろうし、担当医からの細かい指示が抜けていることもあるだろう。

 手術中の心臓外科医がいちいち手をおろして病棟に行くのは不可能だ。

 もちろん病棟には通常の看護師はいるが、医師にわってあれこれやる裁量は与えられていないし、そのためのトレーニングも受けていない。


 そんな時に診療看護師がいてくれると大助かりだ。

 患者の急変に対応したり、抗菌薬こうきんやくの指示を出したりして病棟を守ってくれる。

 医師と看護師の双方から頼りにされる所以ゆえんだ。


「たとえば、診療看護師はどんな医療行為をやるわけ?」

PICCピックを入れるとかドレーンを抜くとか、ですかね」

「今のPICCってのは何の略かな?」

「ええっと、何でしたっけ」


 普段はピック、ピックと呼んでいるからオレも知らない。

 調べてみると、Peripherallyペリフェラリー Insertedインサーテッド Centralセントラル venousヴィーナス Catheterカセター というらしい。

 日本語では末梢挿入型まっしょうそうにゅうがた中心静脈カテーテルになる。

 外国人の診療看護師がたずねてきた場合、こういった質問も想定しておくべきだ。


「よし、取りえずここまでにしておこう。なかなかいい受け答えだと思うよ」


 オレがそうめると、茨城いばらぎくんは「先生の質問がうまいからですよ。でも、今までのやり取りを英語で出来るようになったら凄いと思います!」と喜んでいる。

 こられを1文ずつ英語で言えるようにする、というのが勉強の目標だ。


「でも、いきなり文章を丸ごと言えるようになる、というのはハードルが高すぎだろう」

「確かにそうですね」

「だから、細かい要素に分けて少しずつ英語表現を考えるってのが次の段階だ」


 目標となるゴールを設定し、無理なく実現できるステップを明示する。

 そうすれば誰でもモチベーションを維持しつつ英語習得が可能になるんじゃないか、とオレは思う。


「とりあえず復習してみよう。『知っている範囲でお答えします』の『知っている範囲で』ってのは英語でどう表現したらいいのかな?」

「うっ……何て言えばいいんでしょうか」

「難しいかな。もう少しハードルを下げて『知っている』ってのを英語で言ってみよう」


 茨城くんも幸村ゆきむらさんも一生懸命だ。

 でも、他人様ひとさまに教えるフリをしながら自らが学んでいるオレこそが実は1番熱心なのかもしれない。


(「英語を習得する男」シリーズ 完)


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