第719話 勝手に怒る女

 最初から嫌な事になりそうな予感があった。

 というのも、総合診療科の外来患者に尋ねられたのだ。


「家内が神経内科の先生にかかっているんですけど、全く説明がないそうなんですよ。頭の事をいているのに心電図ばっかりとろうとして納得がいかないんで、先生、1回診てくれませんか?」


 こんな事を言ってくる患者は多いが、その多くは勝手な思い込みだ。


「診るのはいいですが、二度手間にどでまは嫌なので御主人も一緒に来てくださいよ」

「えっ、私もですか?」

「当たり前ですよ。高齢の患者さんが1人で受診して、後で御家族に『何で、あの検査をしなかったんだ』みたいな事を言われるのは心外しんがいなんで」

「いや、先生にそんな事は言ったりしません。それに私は仕事が忙しくて……」


 確か、この人は会社の社長さんだったかな。

 忙しいのは確かなんだろう。


「御主人がついて来れないのならこの話は無しです。ではお大事になさってください」

「いやいやいや、行きます、行きます。仕事の方は都合をつけますから」



 ということで、後日、夫婦はオレの外来にやってきた。

 いきなり奥さんがまくし立てる。


「この前、くびの検査をされたのよ。ゼリーを塗るやつ」

「頚動脈エコーでしょうか?」

「そうそう、それで検査をしていた先生が『不整脈がありますね。また主治医の方から説明があると思います』とおっしゃったんで、次の外来の時にそれを言ったの、恐山おそれやま先生に」


 おお、恐山部長か!

 あの人は怖いけど、医学的に理屈の通らない事は絶対にしない。


「そしたら私の頚動脈を見ることもしないで『心電図をとりましょう』って」


 この時点で患者が何も理解していない事が良く分かるが、一旦は聴いておこう。


「それで心電図をとったら『特に何もありませんねえ』と言われて。次は連続の心電図と言われたから私は嫌になっちゃって『どうして先生は頚動脈を見もしないんですか!』と言ったら、びっくりされたみたいで」


 そりゃあびっくりするでしょう。

 医者にとっては、いきなり「どうして太陽は西から昇らないんですか!」と言われたのと同じだ。

 いかに恐山先生といえども「何言ってんだ、この人?」となるだろう。

 どこかこわれているのは分かるけど、どこが壊れているのか見当のつかない患者、というのが正直な感想だ。


 確かにカルテにも「ホルター心電図を提案したが拒否された」と書いてある。


 ということで……

  頚動脈エコーで「不整脈がありますね」と言われた。

  恐山先生は私の頚動脈を見もせずに心電図を取った。

  24時間心電図を言われたので怒って帰った。

 以上の話がループし始めた。


 2周半ほど話を聞かされたところでオレは割って入った。


「あのですね。今のお話を伺うと、すべて恐山先生が正しいと私は思いますよ」

「ええっ、先生までそんな事を言うの!」

「当たり前です。いいですか、今から私の言うことをよーく聴いて下さい。ちょっとでも分からない事があったら、その場で質問してくださいね」

「えっ、ええ」

「御主人もですよ。他人事と思わないようにしてください。この人、ちゃんと聴いてないな、と思ったらテストを出しますから」

「ええっ、テストですか? 厳しいなあ」

「当たり前です。医療機関にかかるというのは遊びじゃないんですよ。文字通り命がかかっているわけですから、ピストルを突き付けられているくらいの真剣さで聴いて下さい」


 オレだって精神発達遅滞メンタル・リターデイションや認知症の患者にこんな事をいったりしない。

 でも、普通の理解力があるはずなのにうわそらでオレの話を聴いている患者には厳しく注意する。


 単に有難ありがた説法せっぽうをしているわけじゃない。

 生きるか死ぬかの話をしているわけだ。


(次回に続く)


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