第713話 1000分の20の男 2

 脳神経外科の苦労が手術の困難さだとすれば、総合診療科の苦労はなんだろうか?


 ずばりゴミ箱扱いされることだと思う。

 診断のつかない症状、誰も興味を持たない疾患、暴れる患者など。

 いわゆる困った症例の押し付け先が総合診療科だ。


「総合診療科的には何もありません」とか。

「これはウチじゃないですから、とか。

 看板に「総合診療」とうたっている以上、そういうセリフで総合診療科が跳ね返すことは難しい。


 もちろん他科で診断が難しい場合には総合診療科が対応せざるを得ない。

 また、余所よそで診断できなかった症状を自分が診断できたら、それはそれで達成感がある。


 が、てして診断困難な症状を持つ患者は対応も難しいことが多い。

 医学的診断の前に人間関係で疲れてしまう。

 そもそも医療機関を受診するほどの症状を抱えて困っているのだから、医師や看護師に対して常識的な振る舞いを期待できないことは良く理解できる。

 が、こちらも朝から晩までゴミ箱扱いされて疲れ切っているのも本当の所だ。

「衣食足りて礼節を知る」とはよく言ったもので、心や時間の余裕がなければ共感的対応だとか傾聴だとか、できたもんじゃない。


 かつてテレビ番組で「総合診療医ドクターG」というのがあった。

 今もあるのかは知らないけど。


 どこの医療機関でも診断のつかない難しい症状をドクターGがピタリと当てるというものだったと思う。

 わずかな手掛かりから見事に診断し、視聴者がカタルシスを感じるというものだ。

 まるで出来の良い推理小説を読んだ気分になる。


 しかし、如何なる名医でも診断のつかない症例は決して少なくない。

 また、診断がついても治療法のない疾患も無数に存在する。

 高齢者の場合、当該疾患を診断・治療したとしても、入院中に足腰が弱った上に認知症が進み、ゴミ屋敷の自宅に帰せない事もよくある事だ。


 こうなってくると病気自体の診療よりも、社会的問題の解決の方に多大な労力をかれる事になる。

 つまり、老衰や認知症、経済的困難の中、何とか独り暮らしをしていた高齢者の生活が病気で破綻はたんして入院する、という構図だ。


 この時の病気は別に難病奇病でなくても良い。

 誤嚥性肺炎や転倒など、ありきたりの不具合で簡単に日常生活が崩壊する。

 そして社会的問題に決着をつけない限り退院することは不可能だ。


 こういう患者は誰も診たくない。

 自分の専門の追求で忙しい医師たちは、それぞれ心の中で「勘弁してくれよ」と思っているはず。


 そこで「総合診療科の出番です、お願いします!」と皆に言われてしまう。

 こういう患者の1人や2人ならどうってことはない。

 社会的問題の解決も病院の重要な役割の1つだと思う。


 しかし、こういう入院患者が5人も10人も……

 時には20人もの数にふくれ上がったら、もうキャパオーバーになってしまう。


 総合診療科をやってきて思うのは、気の利いた診断のできる名医より、「ゴミ箱扱い上等!」のタフな凡医の方が重宝するってことだ。


 結局はマンパワーなんだと思う。

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