第712話 1000分の20の男

 各診療科にはそれぞれ特有の苦労がある。


 脳神経外科には脳神経外科の大変さがあり、総合診療科には総合診療科の悩みがあるのは当然だ。

 どちらが苦しいかという不毛な論争よりも「この世には自分の知らない事が沢山ある」という考えを持っておくことが大切なのだと思う。



 さて、脳神経外科の困難といえば、それは手術の難しさだとオレは思っている。


 ある人が新しい手術に挑戦したとしよう。

 最初の10例に挑んで5例が死亡し、5例がうまくいったとする。

 野球なら打率5割は有り得ないほど立派な数字だが、脳外科の手術では話にならないほどひどい結果だ。


 が、この術者はめげずに手術を続けた。

 一般的には経験を積めば積むほど手術手技は上達する。

 だから次の100例でははるかに成績が良くなり死亡は10例だ。

 つまり90例の患者が助かり10例の命が失われた。


 さらにこの術者が経験を重ねたとしよう。

 次の1000例はどうだろうか?

 20例死亡し、980例がうまくいった。

 順調に成績が良くなり、多くの患者が助かった。


 目出度めでたし、目出度めでたし……

 って、そんなわけにはいかない。


 手術成績は遥かに向上しているが、死亡は決してゼロにならない。

 いかに名人達人になったとはいえ、20人の患者が亡くなっているのだ。


 この20例に術者はどう対峙たいじするのか。


 ある術者は若い担当医に「おい、お前が説明しておけ。間違っても非を認めたりするなよ。訴えられたらかなわんからな」と言うかもしれない。


 別の術者は「いやあ、これは不可抗力でして」と言い訳に終始し、決して遺族に謝罪しない、そういうこともあるだろう。


 じゃあ、オレはどうなんだ。


 明かなミスがあればその事を説明して謝罪する。

 原因不明の死亡なら原因不明だと言う。

 ただ、いかに原因不明でも現に患者が亡くなっているわけだから、謝罪はまぬかれないと思っている。


 決して遺族に納得してもらおうとか理解してもらおうとか、そういう事が目的ではない。

 そもそも、遺族の納得なんか期待する方がおかしい。

 現に患者は死んでいるんだから。


 納得や理解を望めなくてもオレは自分の言葉で説明し謝罪する。

 なぜなら、それは自分と相手に対するケジメだからだ。


 遺族の前に出るのは恐ろしいし、真実からは目をそむけたくなる。

 これはいつわらざる本心だ。


 でも、脳外科をやる以上、合併症は必ずついて回る。

 逃げずにその結果に向き合う人間になりたい。


 近く、レジデントや研修医たちに話をする機会がある。

 中には脳外科を目指す若者たちもいるから、こういう話をしてみようかと思う。

 彼らに自分の思いを押し付けるのではなく、1つの考え方として耳を傾けてもらえればそれでいい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る