第708話 ファイティングポーズの男

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祝10万PV!

読者の皆さん、ありがとうございました。

引き続き、精進を重ねたいと思います。

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 とあるレストランでの出来事。

 オレたちは4人で食事をしていた。

 4人のうちの3人は医者だ。


 ガッチャーン!

 ドーン!!


 後ろから皿の割れる音と人の倒れる音が聞こえてきた。


 振り返ると高齢の男性客が床に倒れている。

 オレは思わず立ち上がった。

 脳卒中か、心筋梗塞か?


 もう心の中はファイティングポーズだ。


 店の人が客に駆け寄りながら「大丈夫ですから」とオレたちに言う。


 バッキャロー!

 大丈夫かどうか決めるのはこっちだ。

 根拠のない発言なんかするな。


 そう心の中で呟く。


 気を失っていたはずの男性がモゾモゾと動き出してきた。

 意識障害と思ったら失神発作か。

 椅子に座り直し、何やらしゃべり始めた。


 まず考えられるのは postprandi食後al hypotension低血圧 だな。

 あまり知られていないが、人間、食事をすると血圧が下がる事が多い。

 さらに、動脈硬化のある人はわずかな血圧低下で影響を受けやすい。

 脳血流が減った結果、意識を失うわけだ。


 また、胃潰瘍のある人も知らないうちに貧血になっていたりする。

 こういう人もちょっとした事がキッカケで失神してしまう。


 そして1番多いのは迷走神経反射。

 嫌な事を見たり聞いたりして気を失うというもの。

 医学生の最初の解剖実習では毎年1人は倒れる奴がいる。

 こういうのが典型的な迷走神経反射だ。


 逆に1番少なく1番怖いのが不整脈。

 極度の徐脈や房室ブロックなどで心拍出量が減れば必然的に脳血流も低下して失神に至る。

 こいつは突然起こるし致命的な事がしばしばある。



 もしこの場で診察を頼まれた場合、オレならどうするかな。


 すぐに所見をとらないといけないのが脈になる。

 ぐずぐずしていると異常所見が消えてしまうからだ。


 まずは脈をみて大まかな血圧と心拍数を確認したい。

 血圧低下か徐脈か?

 ひょっとするとリズム不整かもしれない。


 徐脈なら普通は迷走神経反射だけど、房室ブロックも頭の片隅に入れておくべきだろう。


 最も考えられる postprandi食後al hypotension低血圧 の場合、血圧低下に脈拍数の増加が追いつかずに失神する。

 だから血圧は低下、脈拍数は正常ってところだ。


 また貧血の有無は眼瞼結膜がんけんけつまくで確認できる。

 食事中の事だから貧血はあっても脱水はなかろう。



 病歴も大切だ。


 本人も気づかないうちに倒れたのなら不整脈の可能性が高い。

 一方、視界が徐々に不明瞭になって倒れたというのなら、不整脈が原因の失神ではない。

 あと、最近になって度々たびたび倒れているのか否か。

 そういった事は本人との会話のやり取りで確認する事ができる。



 世の中には失神に似て非なる致死的疾患もある。

 くも膜下出血や急性心筋梗塞の可能性を除外するために、頭痛と胸痛の有無は訊いておく必要がある。



 大切な事は診断ではない。

 救急車を呼ぶか否かの判断だ。


 不整脈や貧血なら即座に救急車。

 迷走神経反射や postprandi食後al hypotension低血圧 なら翌日の外来受診で十分だ。

 もちろん頭痛や胸痛があれば、これも119番しなくてはならない。



 ここで興奮して「すぐに救急車を呼べ!」などと大きな声を出すのは野暮というもの。

 助けを求められたら対応するけど、そうでなければ介入しない。

 ひとことだけ「我々は医師ですが、必要ならお手伝いしますよ」くらい言っておけば十分だろう。

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