第707話 接待される男

 ネットニュースで「医師への接待費、公表義務化」という見出しがあった。


 しかし、接待などというものがあるのかね、今時いまどき


 確かに20年ほど前までは接待というのがあった。

 製薬会社のセールスマン、いわゆるMRに「先生、ちょっと一杯行きましょうよ!」とか誘われて、夜の繁華街で飲んだもんだ。

 今思えば、あれがキャバクラというものだったのだろうか?

 3人で店に入ると、3人のネエちゃんがやって来て隣に座る。

 オレなんか何を話していいのかよく分からないから、なんとなくネエちゃんの健康相談みたいな事になっちまった。


 遊び慣れているMRたちは接待と称して自分らが楽しんでいたようだ。


 漏れ聞こえてくる会話は……


「早い事、孫の顔を見せてくれよ」

「赤ちゃんが欲しいと思っているのは私もですけど、こればかりは」

「最近はお前らの夜の声も聞こえてこないしな。努力が足りないんじゃないか?」

「やだ、お義父さんたら!」


 どういう名前のゲームかよく分からないけど、MRがお舅さん役、ネエちゃんがお嫁さん役になりきって会話をしていたわけだ。


「先生もどうですか、面白いですよ」

「どんな役をやったらいいのかな」

「じゃあ、先生はそのままで。女の子の方は元カノという事で」


「なんじゃ、そりゃ」と思いつつオレも見よう見真似でやってみる。



「ユイカちゃん何年ぶりかなあ。前より美人になったよ」


 ユイカって名は思いつきだ。

 確か外来ナースの3歳の娘がそんな名前だったような気がする。


「そういうヒロくんこそ立派になって。奥様は幸せ者ね」


 おいおい、オレはヒロくんかい。

 まあ、ここはヒロくんになりきろう。


「奥様きっと綺麗な人なんでしょうね」

「いやいや、結婚したらブクブク太っちまってさ」

「またまた!」

「もう女房は女じゃないね。それより……」


 ゲームと思っていてもやっているうちについ感情移入してしまう。


「ユイカはどうなんだい。独身のままか?」

「独身には違いないけど。シングルマザーって奴」

「へえ。子供は男の子? それとも女の子?」

「男の子よ、ヒロタカっていうの」

「えっ……もしかしてオレと同じ名前か?」


 ゲームとはいえ、オレは焦った。


「それ、ちょっとマズイことないかな」

「いいのよ。旦那は女を作って出て行ったし」

「女を作ったのか、困った奴だな」

「あら、そんな事を言えるわけ? ほかに女が出来たのはあなたも同じじゃない!」


 ちょっと待て。

 オレも二股男ふたまたおとこかい!


「えっ? 何を言ってるんだ。フラれたのはオレの方じゃないか」

「何よ。私、聞いたんだから。女子大生の彼女ができたって」

「誰がそんな根も葉もないことを! ずっとユイカ一筋だよ、昔も今も」

「そうなの?」


 これで形勢逆転だ。


「当たり前じゃん。理由も何も分からないままにフラれて、オレはずっと泣いて暮らしていたんだぞ」

「ご、ごめん。知らなかったわ」

「もうヤケクソでお見合いして今の女房と結婚したんだけど、やっぱりユイカの事が忘れられなくて」

「本当?」

「良かったらこの後にさ……」


 その時、ポンッと巾着袋きんちゃくぶくろみたいなものがテーブルの上に投げ込まれた。


「時間になりました。延長しますか?」


 店の男の人に声をかけられた。


「先生、どうします? 延長してもいいですよ、我々は」


 MRたちがオレの顔を覗き込む。

 本当には「延長したいなあ」だろ、正直に言えよ!

 でも、えてオレは帰ることにした。


「すまん、家でユイカがオレを待っているんだ」

「えっ、奥様もユイカって名前なの?」

「いや」

「じゃあ、娘さんに私の名前をつけたのね」

「犬だよ、メスのブルテリア」


 ブルテリアってのは片目だけパンチを食らったみたいな顔の犬だ。


「なんせ不細工なほど可愛いんだ、犬ってのは」

「ひどーい!」

「散歩に連れて行ってやらないとねるからな、あいつは」


 もう何が現実で何が虚構か、わけが分からなくなってくる。


「だからさ、昔も今もオレはユイカ一筋だよ」


 そう言ってオレは席を立った。


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