第706話 鼻歌を歌う男

「ふーん、ふふふーんん♪」


 鼻歌交じりで手術をしていたら直接介助スクラブナースに言われてしまった。

「その歌、知ってます」と。


「知っているのか、中国のおじさんが踊っているやつ」

「そうなんですか?」

「元がどうなんかは知らないけど」

出川哲朗でがわ てつろうが電動バイクに乗って旅に出る番組だと思っていたんですが……」


 後で調べてみると、1998年にリリースされた奥田民生おくだ たみおの「さすらい」という歌だ。

 以来、色々な番組で使われてきた。

 そして、今から10年ほど前に始まった出川哲朗の「充電させてもらえませんか」というテレビ旅番組にも登場している。


「私、あの番組が始まった頃は小学生だったんです」

「なんだと。小学生って……」


 ついこないだまでランドセルを背負っていた人間が手術室で器械出しをしているのか!

 時がつのは速い、速すぎる。



 最近になってオレの YouTube のショート動画にしばしば出て来るようになったのは、この曲に合わせて中国のおじさんが橋の上でゆるく踊っている映像だ。

 元々は少数民族の踊りだったものに誰かが勝手に「さすらい」の歌をつけたら、なんとこれがピッタリはまった。

 まるで「さすらい」に合わせておじさんが踊っているように見える。

 おじさんの踊りのゆるさとメロディーや歌詞の緩さが綺麗にマッチしたのだ。


 以来、このおじさんの踊りが大流行し、皆が真似をしてショート動画をあげるようになった。

 ところがこの踊り、簡単そうに見えて案外難しい。

 おじさんのようにバランスよく踊れず、どうしてもニセモノ感がぬぐえない。


 が、世の中は広い。


 突如現れた日本の女子高生が見事に踊ってみせたのだ。

 おじさんのものとは若干フリが違うが、そんな事はどうでもいい。

 薄ら笑いを浮かべながら全く軸がぶれない安定感のある踊り。

 たちまち人気が出て「さすらいネキ」と呼ばれるようになった。

 これは「さすらい姉貴」という意味だ。

 ちなみに男性だったら「さすらいニキ」とでもなるのだろう。


 もう中国おじさんと、さすらいネキの2人が他を圧倒している。

 凡百ぼんぴゃくのショート動画は蹴散らされてしまい、ついに「世の中には越えることのできない壁が2つある」とまで言われるまでになった。

 いうまでもなく片方の壁は中国おじさん、もう片方の壁はさすらいネキだ。


 この2人が毎日のように YouTube 動画に出て来るものだから、奥田民生の歌もオレの耳についてしまった。

 つい、手術室でも鼻歌になって出てきたという次第だ。


 それにしても、手術室でこんな会話をしているなんて。

 手術をされている患者は想像すらしていないだろうな。

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