一度ドラマ化を断っているのに、またその話が出てきて、原作者さんは「原作に忠実であること」を条件にしぶしぶ呑んだのです。
ところが出来上がった脚本は大幅に違う作品になっており、第一話から原作者さんが何度も修正を出していったそうなんです。
完結するまでは漫画の連載に専念したいと作者が云っているのを、ドラマ化することで仕事が倍増になり、さらには未完のままこのような結末になってしまって、本当にお気の毒です。
作者からの返信
今回の事件のニュースを見て思い出したのは漫画「響~小説家になる方法~ 7」の中の「人の小説をでたらめにいじって、私が傷つかないとでも思ったの」というセリフです。
主人公の鮎喰響は自らの小説が売れっ子漫画家に適当な絵にされてしまったために激怒して「描き直し」と言ったわけですが、「セクシー田中さん」の脚本家も原作者に合格点をもらえなかった、ということなのでしょうね。
カクヨム作家の端くれとして、つい原作者に感情移入してしまいます。
編集済
先生のご経験は、ものすごく示唆に富んだものだと思います。
タイミングよく、いつもチェックしているネットニュースまとめサイトで、「『この問題についての脚本家たちの懇談会』がYouTubeにupされたところ、大きな批判の声が上がり、動画の公開が止められた」という事が取り上げられていました。
デジタルの世界なので、一度upされたものは、画像そのものであったり、文字にされたものがいわゆる「魚拓」として残されるわけですが、それを読むと、宮藤官九郎さんや三谷幸喜さんなど、オリジナルの脚本を描く才能ある脚本家は別として、原作を基に脚本を書く脚本家のモチベーションは、「原作の世界観を大切に」ではなく、「原作の世界観に自分のオリジナリティを入れる」ところにあるように感じました。いわゆる「二次創作」です。
「二次創作」文化は著作権の問題からは「違法」となりうるものですが、「文化」として認められているものでもあります。ただ、「二次創作」が認められるのは「二次創作」と明らかにしているものであって、それも作者の「目こぼし」の上にあるものだと思っています。「二次創作」そのものを否定するつもりはありませんが、テレビドラマなど、不特定多数の人の眼に触れるものを「二次創作」する、しかも「二次創作」と明言しないで行なうのはいかがか、「脚本家」が、自身の行為が「二次創作」となっていることに気づいていないのはどういう了見なのだろうか、というのが私の感想です。
本来はドラマ化をしたくなかった原作者を、「この条件なら」と譲歩させたうえで、その条件を反故にしてドラマ化を進めた人たちにとっては、「原作」や「原作者」へのリスペクトよりも、ドラマ化することで入ってくるお金の方をよりリスペクトしていたのではなかろうか、と思う次第です。
作者からの返信
>「原作の世界観に自分のオリジナリティを入れる」
オリジナリティというのはストーリーや台詞を改変したり原作にないキャラを登場させるのとは違う形で発揮して欲しいですね。