第703話 「セクシー田中さん」を読む男 2

(前回からの続き)


その昔。

オレは漫画の医学監修を頼まれた。

薬屋さんが自社製品の宣伝のために制作するものだ。


漫画家の描いたラフ画のコピーが十数枚。

全体の中の冒頭の部分だけだった。

丸とか四角とかで描いた絵だけどそれなりに表情がある。


最初は医学的な部分をチェックしていたが、見ているうちに直したくなってきた。


「ここは、こうした方がいいんじゃないかな」


編集担当者の返事は曖昧だ。


「そ、それも……良さそうですね」


そこでストーリーや台詞にも手を入れみる。

当初はちょっとだけ、次第に大胆に。


原形をとどめないほどになってしまったラフ画を持った編集者は表情を曇らせたまま帰っていった。


数日後。


「俺はおりる!」と漫画家に言われてしまったのだそうだ。

あちゃーっ、やっちまった。

でも、話がありきたり過ぎだったし。


ということで医学的なところだけでなく、ストーリーから台詞から全部オレが作る羽目になってしまった。

漫画家の方はリクエスト通りに描いてくれる人をどこからか探し出してくるそうだ。


その後は快調に制作が進んだ。

時々、「心電図計ってどんなのですか」とか「手術室の写真が必要です」という連絡があり、適当に写真を撮って送った。


そして、ついに漫画が完成した。

当然のことながら、スポンサーの新薬の宣伝に終始したものだ。

でも、出来栄えは良かったので出版社も製薬会社も皆が満足してくれた。

その漫画は今もオレの部屋の本棚にある。


以来、時々その出版社から一般向け新刊書の医学的チェックを頼まれるようになった。

内容がどれだけ陳腐であっても面白くなくてもオレは余計な事を言わない。

淡々とチェックするのみ。

時々、意味不明な日本語に出くわした時に「やや難解なので、もう少し分かりやすく言い直した方が読者に受け入れやすいのではないでしょうか?」くらいのアドバイスをしたくらいだ。


今にして思えば、もし最初の漫画家と共同作業で本当に良いものを作ろうと思ったら、顔を突き合わせ言いたい事を言い合いながら作業を進めていくべきだったと思う。

そうでなければ一方が完全に脇役に徹する必要がある。


でも、果たして共同作業で作ったものが面白いのか?

単に2人だけの自己満足という事もあり得る。


オレなんかはスポンサーの思惑を漫画原作にすればよかったけど、実写テレビドラマ化だと大勢の人が関わる。

たぶんスポンサーの意向や芸能事務所のゴリ押しなど、脚本家は四方八方に気を遣う必要があるんじゃないかな。

そうすると原作者の希望なんかに耳を傾けている余裕なんか無くなってしまう。


結局、「セクシー田中さん」の唯一の解は原作者自身が脚本を書くということだったのかもしれない。


(「『セクシー田中さん』を読む男シリーズ」 完)



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