第698話 秘策を練る女 5

(前回からの続き)


「ところで笹江ささえさんはどうかな、何か救急外来で困った事とか改善すべき事とかは無い?」


 オレはもう1人の研修医、笹江箸子ささえ はしこ先生に尋ねた。

 彼女はしばらく考えてから答え始める。


「転院依頼は外来当直のレジデントの先生に連絡が入るのですけど『こういう人が転院されてくるので対応しておいて』と言われたきり、1回もに来てくれない事もあるんです」

「なんじゃ、それ!」


 一体、何様なにさまのつもりなのだろうか。

 レジデントってのは医師ヒエラルキーの下から2番目にすぎない。

 転院患者を取るだけ取って後は知らないっていうレジデントが存在することに驚かされる。

 そもそも人としてどうなんだ。


梯子はしごを外されてしまったらつらいよな」


 オレは笹江さんに同情の言葉をかけた。


「それと、外来当直レジデントの先生は私たちを指導するためにおられると思うのですけど……」

「皆まで言うな! 一晩中当直室で寝ているだけの馬鹿がいるって事だな」


 あきれたもんだ。


「でも私たちには当直明けは休みですけど、レジデントの先生方は翌日にも仕事がありますから」


 確かにそうだ。

 医師の働き方改革とやらで、オレたちは一定時間以上の超過勤務をしてはならない事になった。

 が、医師全体の仕事量は同じだ。

 だから研修医の仕事が減った分、レジデントやスタッフ、役職者が手分けしてやらなくてはならない。


 医師の負担を減らすために医師事務作業補いしじむ助者や診療看護N P師が導入された。

 彼らは貴重な戦力だが、なんせ数が少ない。


「レジンデント全員が当直室で寝ているわけじゃないでしょ。中にはちゃんと指導してくれる子もいるんじゃない?」


 診療局長がそう尋ねた。

 レジデントくらいの年齢だと彼女にとっては子供くらいの年頃になる。


「そうですね、腎臓内科の押絵おしえ先生とか内分泌内科の獅童しどう先生とか」

「ほかには?」

「ん-、膠原病内科の真摂しんせつ先生……ですね」

「たった3人だけ?」

「いえ、私が思いついたのがその先生方で、他にももっといらっしゃるはずです」


 いやいや、この3人くらいじゃないのか?


慶温けいおんくんはどうなの。他に誰か教育熱心なレジデントは思いつかない?」

「確かに押絵おしえ先生や獅童しどう先生、真摂しんせつ先生には色々と学ぶ事が多くて感謝していますが……」

「感謝していますが?」


 オレは思わず言ってしまった。


「分かった、分かった。他のレジデントは誰も救急外E R来にりて来ないってわけだな」

「いえ、そういうわけでは」

「よし、こうなったらな。オレがホットラインを持って救急隊に応需してやろう。もちろん診療局長も当直するから!」

「えっ、私もするの?」

「もちろんですよ。当直でなくて居残りでもいいですけど。どうせ役職者の超勤は0時から5時の間しかつかないから病院の金銭的負担もごくわずかだし」


 ちょっと前のニュースに「名ばかり管理職」ってのがあったが、それに近いのかもしれない。

 役職者になると午前0時までの超勤はつかないし、午前5時からの超勤もつかない。

 昇任すると逆に手取りが減ってしまうので、「長」になることを拒んでいる医師が続出している。


「それと給与体系は本部が決めていてオレたちが触ることができないから、それ以外の処遇でこたえてあげたらどうでしょうか」

「それ以外の処遇って何ですか、丸居先生?」


 診療局長と看護部長が同時にオレの顔をのぞき込む。


「むはははは。ナイスなレジデントにはな、個室と美人秘書をつけてあげようじゃないか」

「び、美人秘書って!」


 その部屋にいた全員を驚かせてしまった。


「そんな美人秘書なんて何処どこにいるんですか!」

「部屋も足りませんよ」

「それ、セクハラじゃない?」


 皆に一斉に言われてしまった。

 だからオレも反論する。


「皆さん落ち着いて下さい。我々が給料の部分をいじる事ができないんだからほかで何とかしてあげようってのは悪くないと思うんですけどね」

「丸居先生、自分の願望を言っただけでしょ!」

「もし『秘書が美人じゃない!」ってクレームが来たら『美人じゃなくてすまん。美人すぎる秘書だった』とか言っておけばいいんですよ」


 皆に呆れられる。


「さっき『セクハラだ』って言った人がいましたけどね、美人秘書にセクハラするのが前提なんですか? 令和の時代に有ってはならない事ですよ」


 そう言ったら診療局長と看護部長、女性2人に攻撃される。


「なんだか丸居先生の頭の中がけて見えるみたい」

「いやらしい……」


 ちょっと待ってくれ。


「何てこと言うんですか。僕に美人秘書をつけろと言っているわけじゃないんだから、勝手に変な想像しないでくださいよ」

「男の秘書しかいなかったらどうするのよ」


 男の秘書でも全然オッケーですよ、普通に考えて。

 でも、何らかのわけは準備しておいた方がいい。


「そんな時には獅童しどう先生にこう言ってあげたらどうですか?」


 オレはちょっとを置いた。


「『先生みたいな色男に美人秘書をつけたら危険だからな、道を誤ったりしないよう男性秘書にしておこう』って」


「ええーっ、何それ!」と皆がわめいている中で研修医の慶温けいおんくんがポツリとつぶやいた。


獅童しどう先生が……可哀相かわいそうだ」



(「秘策を練る女」シリーズ 完)


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