第697話 秘策を練る女 4

(前回からの続き)


 オレたちは夜間休日の救急外来を担当している研修医たちに現状を尋ねてみた。


「どう? 慶温けいおんくん。やっぱり急性アルコール中毒のお相手は勘弁してくれって感じかな」

「ええ、怒鳴られる事もよくありますし、僕じゃないんですけど殴られた子もいますから」

「それは困ったもんだな」

「もしナイフなんか持っていたらって思ったら、怖いですね」


 酔っ払いがナイフを持っていたりするのか?

 ちょっと考えすぎじゃないかな。


「万一の事もあるしな。まずは持ち物を調べた方がいいかもしれん」


 すると看護部長が割って入った。


「この前の危機管理講習会の元自衛官の方もおっしゃってましたね、起こすときが危ないって」


 その講習会ならオレも出席した。

 元自衛官が言っていたのは、こういう事だ。


 防弾チョッキの上からでも撃たれたら気絶する事は珍しくない。

 で、うっかり倒れた同僚を起こそうものなら銃で攻撃される事がある。

 というのも、人間というのは目が覚めて最初に見たものを敵と誤認するからだ。

 まず武装解除してから「おい、大丈夫か?」と声をかけなくてはならない。


 酔っ払って道に寝ている人にも同じことが言える。

 救急外来で「大丈夫ですか?」と尋ねた途端とたんに殴られたりするのはこういう事かもしれない。


 だから声をかける前に、危ない物をもっていたら離しておく。

 それから声をかけるべきだろう。

 しかも手足の届きにくい頭側から。


「それにしても慶温けいおんくんは酔っ払いを恐れすぎじゃないかな」

「ですかね」

「学生時代に柔道とか空手とかやっていなかったわけ?」

「格闘技系はさっぱりでして」

「じゃあ、何をしていたの」

「軽音楽部ですよ」

「パートは?」

「ギターとボーカルです」


 ガタイのいい慶温けいおんくんがミュージシャンとは意外だった。


「じゃあ、あれだな。ギターを弾きながら『飲みすぎはダメだよ~暴力はいけないよ~♪』って歌うとか」

「僕の歌を聴いたくらいで大人しくなってくれますかね」

「もし手を出されたりしたらギターで殴ってやれ!」

「やめて下さいよ、ギターが壊れるじゃないですか。それだったら自分が殴られる方がまだマシです」


 ギターの方が自分の身体からだより大切って、キミはヨーヨー・マか!

 かの有名なチェリストは飛行機で移動するときは自分のチェロのためにもう1席確保しているのだとか。

 ヨーヨー・マならきっと愛用のチェロもファーストクラスなんだろうな。


「何を言ってるんですか、先生方。フラッシュライトというのもありますよ」


 確かに看護部長が言うとおりだ。

 危機管理講習会では相手を傷つけずに無力化する方法としてフラッシュライトが紹介されていた。


 何かで殴って相手を怪我させたりしたら、自分で自分の仕事を増やしてしまうだけだ。

 忙しい救急外来で縫合処置が増えてしまったら、こんなに情けないこともないだろう。

 だから点滅する強力なフラッシュライトを浴びせて目つぶしを食らわせる。


「救急外来に何本か置く予定なので、研修医の皆さんも活用してね」


 さらに診療局長が話を続ける。


「それと急性アルコール中毒の患者さんの対応は必ず、警備の人が誰かつくようになっているはずなんだけど」

「あの、言いにくい事なんですけど」

「何でも言ってくれていいよ」

「警備員といってもお爺ちゃんばっかりなんですよ」


 言われてみれば、頭数を揃えるために老人を集めたってのが見え見えのメンツだ。


「この前なんか患者さんが暴れているところに警備員さんがタイミングよく来てくれたと思ったら、『眩暈めまいがするから診察して欲しい』という相談だったんです」


 そんな状態では酔っ払いの制圧なんか期待できたもんじゃない。


「警備員さんは質も量も見直さないといけないみたいね」


 診療局長はため息をついていた。


(次回に続く)

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