第690話 ナナちゃん人形の女
「今日は雑談から入りたいと思います」
そう切り出したのは某製薬会社の女性MR、昔でいうところのプロパーさんだ。
昼休みに行われた医薬品説明会、出席者は10人ほどだろうか。
「私は名古屋の出身なのでナナちゃんについて説明させていただきます」
ナナちゃん?
なんじゃ、それ。
そんな空気が出席者の間に広がった。
「ナナちゃんは名古屋駅の中にある身長6メートルの人形です」
スライドには駅構内に立ちはだかるナナちゃんの写真が現れた。
「これはドロンジョのコスプレをしているナナちゃんです」
ドロンジョというのはアニメ「ヤッターマン」に出てくるキャラだ。
なるほど、なるほど。
「衣装は日によって変わるので、こういったものもあります」
全体的にスリムなナナちゃんは洋装が似合う。
そもそもスイスのシュレッピー社がデザインしただけあって、体型が西洋人だ。
とはいえ2本足で立っているだけなので、いかにも不安定に見える。
思わずオレは質問してしまった。
「この前の能登半島地震の時は倒れたりしなかったんですか?」
はあ?
先生、何を真剣に聴いているんですか。
そんな表情で周囲の人たちがオレを振り返る。
「特に問題ありませんでした」
「それは良かった」
「おそらく頭の方が天井に固定されているんじゃないかと思います」
それなら地震にも強いはずだ。
名古屋駅といえば、学会が名古屋国際会議場で行われることもあるので時々通るが、これまで気づいたことはなかった。
「ナナちゃんに興味を持っていただいて、ありがとうございます。それでは薬剤説明の方を」
いよいよ本題に入るのかと思ったら別の医師から質問が飛ぶ。
「だいたい何日に1回くらいナナちゃんは着替えるわけ?」
「私もよく知らないんですけど、1週間とか10日とかくらいじゃないですか?」
「なんか都市伝説がありそうだな」
ツカミで始まった雑談が思わず盛り上がる。
本題であるはずの薬の説明に中々入れない。
「ナナちゃんの着替えを見たものは誰もいない……とか」
「ええ、着替えの専門の人がいらっしゃるそうなんですけど」
オレは見たぞ。
女性MRの額にタラッと汗が出てきたのを。
「早く薬の説明をさせてくれえ!」という心の声も聞こえてきたような気が……
「ワイが知っとるのは長田区の鉄人28号やけどな」
「ああ、阪神大震災の復興を願って作られたというものですね」
薬はどうなってるんだ!
「長田区って神戸市でしたかね、先生。兵庫県の?」
「兵庫県神戸市と言うたらアカンことになっとるねん。住所を書くときは神戸市から始めるんや。子供の頃、よく親に怒られたわ」
おい、関西人!
もう鉄人28号は要らないから。
早く薬の説明をさせてやれ。
「そういや、お台場だったかに実物大ガンダムがあったよな」
知らんがな。
ナナちゃんも鉄人もガンダムもオレは実物を見た事がない。
「ガンダムの高さは20メートルやけどな、鉄人28号も本気を出したら18メートルやぞ」
「なにそれ。鉄人に本気とかあるんですか?」
「普段は膝をちょっと曲げとるから15メートルぐらいやけど、直立したら18メートルになるんや!」
いやいやいや。
この世に鉄人の身長くらいどうでもいいことはないだろ。
「あっ、もうこんな時間か。ゴメン、検査があるから行かなアカン。ワイの分の弁当は残しといてや」
そういって関西人は立ち上がった。
「えっ? 先生、もう行かれるんですか」
そう言いながらMRの顔はひきつっていた。
「とりあえず患者にエンレストをぶちこんどいたらエエんやろ。1ダースほど処方しとくわ」
「あ、ありがとうございます!」
笑いに包まれた会場の中でMRは10秒ほど深々と頭を下げ続けた。
今日は降圧薬のエンレストを説明する事になっていたのか、知らなかった。
さすが関西人だけあって、スポンサーを立てつつ笑いを持っていったみたいだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます