第688話 キッズルームの男

 能登半島の地震からもう2週間以上が経った。

 ウチの病院からもDMATや医療支援班が次々に出発していく。

 医療支援班の方は当番制になっており、オレは1月の最初の方と最後の方に当たっている。

 確率は低いが出発日によっては能登に行くことになるかもしれない。


 災害といえば、昨年の研修会では赤十字病院の先生の講演があった。

 以下、慣例に従って日赤と呼ばせていただく。

 日赤ではなんと100年以上前から災害医療をしており、関東大震災や第二次世界大戦でも支援をしたのだそうだ。

 一方、災害現場というのは文字通り危険と隣り合わせだ。

 これまでに殉職した者も累積で数十名にのぼっているとのこと。

 あらためて大変な仕事だと思わされた。


 さて、講演の中で印象に残ったのは数年前の熊本地震での日赤の取り組みだ。

 国内観測史上最大の計測震度6.7が記録された2016年4月16日に初動班18名が九州に向かって陸路出発。

 初動班とは別に病院に残った人間が情報を集め、目標を南阿蘇村と定めた。

 というのも、土砂崩れで阿蘇大橋が落ちてしまい、熊本市と南阿蘇村の間が通行できなくなり半ば孤立してしまったからだ。

 具体的には熊本市からの国道57号線、国道325号線が寸断され、さらに俵山トンネルが崩落したため国道28号線も使えなくなってしまった。

 そこで日赤の初動班は熊本市とは反対側の大分県の方から現地に入ったそうだ。

 南阿蘇村は広大な地域であったため、日本医師会のJMAT、国境なき医師団とで3分割して医療支援を行ったとのこと。


 後日、医師会の先生の講演も聴く機会があった。

 熊本地震の時、日本医師会は医師・看護師・薬剤師・事務員等で編成されたJMAT 568チーム、合計2,556名を現地に派遣したそうだ。

 医師会というと世間では政治的な圧力団体みたいに見られがちだけど、こういう災害支援活動に力を入れている事をもっと宣伝した方がいいと思う。


 話を日赤に戻す。


 意外にも熊本地震で好評だったのは大型テントで作ったキッズルームだったそうだ。

 というのも避難生活が続くにつれて大人だけでなく子供たちもストレスを抱え始めた。

 ところが、おもちゃを備えたキッズルームを設置すると、子供たちが笑顔で遊び、大人やボランティアたちも息抜きをすることのできる場として機能したのだとか。

 頭の中で想像するのと現実とでは随分違っているという良い例だ。


 さて、講演後の質疑応答では色々な質問が飛び交った。


「やはり災害医療に興味を持っている医師が日赤に入職するのでしょうか?」

「いや、単に大学の医局人事です」


 端的に言えば教授の気紛れって事か。

 いかにも有りそうな話だ。


「ウクライナにも行っているんですか?」

「ええ、各国の赤十字が協力して支援しています」


 講演中のスライドの中ににチラッとポルトガルの赤十字からの支援物質が写っていたような気がする。

 まさしく世界中の赤十字が1つの目的のもとに協力しているという印象だ。


「ガザ地区はどうですか?」

「行ってはいるんですけど内容について話すことはできないので……それについては御理解ください」


 もちろん現在進行形の活動については話せない事も沢山あるだろう。


 色々見聞を広めることのできた講演会だった。


 現在の能登半島地震では日赤、日本医師会、国境なき医師団、それぞれに現地入りして支援を行っている事と思う。

 きっとキッズルームも現地で活躍しているに違いない。

 それぞれに任務を果たして無事に帰還することを祈るばかりだ。


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