第684話 腰痛に苦しむ男 1

 車に乗り込んだ瞬間に気づいた。


「腰痛がない!」


 職場の駐車場での出来事。

 家に帰るためにエンジンをかけたのだが……

 あれほど痛かった腰が全く痛くなくなっていたのだ。


 だいたい1年間に3回くらいだろうか、腰痛に苦しめられるのは。

 今回は2週間ほど前から痛かった。


 ギックリ腰といえばギックリ腰だろう。

 が、オレの場合、突然痛くなるわけではない。

 気がついたら腰が痛くなっている。


 痛さのピーク時にはロキソニンを1日に3回くらいのんでやり過ごす。

 時には湿布すら貼る。

「何か内臓の悪い病気にかかっているのかも」と思ったりするが、明らかな動作時痛なので、冷静に考えれば筋・関節系の不具合だ。


 若い頃のギックリ腰は1週間ほどかかって段階的に改善していた。

 年を取ると痛みがおさまるのに徐々に時間がかかるようになった。

 しかも良くなったり悪くなったりしながら2~3週間かかって改善する。


 ところが、今回は突然治ってしまった。

 いや、治ったのではなく一時的に痛みを感じなくなっているだけかもしれないぞ。

 数時間すると痛みが戻るのだろうか。

 実は腰痛改善の原因については心当たりがある。

 手術だ。


 今日は午後から手術をしていた。

 局所麻酔の1時間半ほどのものだから小手術といっていいものだ。

 ただ、前後の時間を合わせて2時間半ほど立ちっ放しだった。

 立ちっ放しが腰に良かったわけでもないと思う。


 わずか1時間半の手術とはいえ、開けるまで予想のつかない部分があり、いくつかの難しい決断を要するものだった。

 あまり意識しなかったが、かなりの緊張を強いられたはず。


 そのストレスで一時的に大量のアドレナリンだか脳内モルヒネだかが分泌されて痛みがなくなってしまったのかもしれない。

 人間、危急存亡ききゅうそんぼうの状態におかれたら腰痛どころではなくなって当然だ。

 ということは、身体の痛い患者もこの方法で治療ができるかもしれない。

 たとえばライオンに追いかけられてみるとか……


 実際、身体の痛い外来患者は大量にいる。

 視床痛ししょうつうとか交通事故の後遺症とか。


 視床出血後に右半身に嫌な異常感覚が残ってしまった同僚医師がいた。

 が、ある日の事。

 まだ赤ん坊だった息子が食べたもので窒息しかかった時、すぐに口に指を突っ込んで吐き出させた。


「驚いた事にあの時だけは何の痺れも痛みも感じませんでした。しばらくしたら痺れが戻ってきたんですけどね」



 オレの場合、車を運転して自宅に戻ったときには少し痛みが復活していた。

 が、これまでと比べて格段に楽になっている。

 いつもの回復過程が促進されたような感じだ。


 これは新しい治療法かもしれない。

 危急存亡治療法ききゅうそんぼう ちりょうほうとでも名付けようか。


 早速、外来患者に試してみてもいいかもしれない。


 が、問題はどうやって危機的状況をつくりだすのか。

 もう一つ、身体の痛みを訴える患者のほとんどがネガティブな性格なので、誰も「やってみたいです」と賛成してくれそうにない事も問題だ。


(次回に続く)

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