第682話 虚をつかれた男 3

(前回からの続き)


 翌日、脳外科外来でいきなり言われた。


「先生、沓脱捨男くつぬぎ すておさんの奥さんから頭部MRIを撮って欲しいと連絡がありまして」

「何か?」

「最近、頭がぼけてきたんじゃないかって」


 外来患者は何百人もいるので名前まで憶えている人は多くない。

 憶えているのは、自分が手術したかよっぽど何かやらかした人くらいだ。


「3年前にもMRIを撮影しているので、それと比較してくれないかって言ってるんです」


 それだったらMRIの予約をするだけの事だから大した手間ではない。


「じゃあ来てもらって。ただ、直接来たら選定療養費せんていりょうようひがかかるから、それだけ了承してもらってね」

「分かりました」


 選定療養費の制度は導入されてから10年以上経つが、今でも知らない人が多い。

 軽症患者が大病院に集中する事を避けるために、紹介状なしの初診患者には一定の負担金額がかかるというシステムだ。

 聞くところによると慶應大学病院は1万円かかるのだとか。

 ウチでも7,000円くらいはしたと思う。


 脳外科にかかるのは2回目だという場合でも、前回が3年前だったら初診扱いになる。

 また、脳外科とは別に消化器内科にかかるという場合でも初診扱いになるので、別に選定療養費がかかる。

「病人から7,000円も1万円も取るなんてしからん!」と怒る人もいるかもしれないが、オレに言わせれば外来受診患者のほとんどは軽症だから病人とはいえない。

 本当にウチの脳外科外来受診が必要な人ってのは全体の1割くらいだろう。


 だからといってオレは「何しにウチに来たの?」「アンタみたいな軽症の人が来るところじゃないよ」などと言ったりしない。

 気持ち良く対応して7,000円支払っていただくってのがオレのポリシーだ。


 今回でいえば患者の言うとおりにMRIを撮影して3年前と比較して「あまり変化はないですねえ」とでも言っておくだけの事。

 対面で診察して本当に記憶障害がありそうな場合には、内服薬をチェックしつつ甲状腺機能やビタミンB1などを調べる。

 薬剤の副作用や甲状腺機能低下症がなさそうな場合はアルツハイマーやレビー小体病のような本格的な認知症かもしれないので神経内科に紹介しなくてはならない。

 もちろん脳外科については終診だ。


 で、御夫婦が外来にやってきた。


「この人、去年の11月くらいからおかしな事をいいますねん」

「どんなおかしい事ですか?」

「物忘れがひどくなったというか」

「何でもくしてしまって、いつも探しているとかでしょうか」


 奥さんは認知症を心配していたが、さらにこの3日ほどひどくなったという。


「夜中にトイレに行くのはいつもの事ですけど」

「まあ80歳を越えたら2回や3回は行くでしょうね」

「それが先生、トイレで用を足してスッポンポンで戻ってきますねん」


 スッポンポン!

 重要なキーワードだぞ、これは。


 高齢者の肺炎や尿路感染では譫妄せんもうが起こって奇妙な行動をとりがちだ。

 その1つが脱衣に関するもの。

 なぜかトイレの後で服を脱いでしまったり、入浴後に裸のままで寝てしまったり。

 逆にいえばスッポンポンといえば肺炎・尿路感染を想起しなくてはならない。


 ということは……

 オレは問診票を確認したが、体温36.4度となっている。


「熱は出ていないんですよね、36度台だから」


 そう言ったら奥さんは勢い込んで言う。


「いやいや、昨日は37度6分ありましてん!」


 どわあ、肺炎か尿路感染か?

 いやいや、昨日の今日だ。

 ひょっとしてコロナって事は……


(次回に続く)

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