第680話 虚をつかれた男 1
その日、
もともとは
四肢不全麻痺というのは4本の手足が動きにくい、という状態だ。
この人の場合、脳から四肢にいく神経の束である脊髄が、
椎間板ヘルニアと
幸いなことに入院してから少しずつ手足が動くようになりつつある。
その一方で38度台の熱が出てきた。
「整形外科的には退院可能ですが、ひょっとして尿路感染症ではないでしょうか?」というのが、総合診療科へのコンサル内容だった。
整形外科では血液と尿検査を提出しているが、結果はまだ返ってきていなかった。
何らかの感染症が原因で発熱している可能性が高いが、検査結果をみない事には尿路感染症か否かは分からない。
もし尿路感染症なら尿の混濁、尿中白血球数増加、亜硝酸塩検出などの所見があるはず。
とはいえ、検査結果だけ見て結論を出すわけにはいかない。
何事も患者本人を
ということで、外来診察の合間をぬって病棟に往診した。
「
四人部屋の入口で呼びかけると「はーい!」という声がした。
カーテンで仕切られた奥のベッドからだ。
「総合診療科の丸居といいます。今日は整形外科の先生から熱の相談をされてまいりました」
「ああ、先生。よろしくお願いします」
「お食事の前にすみません」
「もう終わりましてん」
38度台の熱にしては元気だし声も大きい。
食欲もあるって事だ。
「調子はどうですか?」
「ちょっとは動くようになったんやけど、まだ歩けませんのや」
熱の状況を尋ねたつもりだけど、手足の事を答えられた。
複数の問題を抱えている場合、患者ってのは医者の専門にかかわらず自分の1番困っていることについて語り出すものだ。
だから手足が動かない事には困っているものの、尿路感染症については大したことはないのだろう。
「ちょっと歩いてみてくれますか?」
ここで「オレが来たのは熱が出たからだ。手足の事は訊いてない」などと言おうものなら話がややこしくなる。
とりあえず患者の物語に乗っておく方がスムーズに事が運ぶ。
根津さんはオレの支えでベッドから苦労して下りた。
何とか立てるが、歩くのはゆっくりだ。
ピョコン、ピョコンと小股で歩くところからすると、いわゆる
心臓ペースメーカーが入っているので脊椎MRIは撮影されていないが、やはり頚椎症によるものだろうな。
ということは
オレは医学的興味を抑えられなくなってきた。
「ちょっと
そう言ってオレは根津さんの後頭部に両手の親指を引っ掛けて上に押し上げた。
こうすると頚椎が上下に伸ばされることになる。
器械をつかった頚椎牽引は整形外科のクリニックなどでよく行われるが、手でやるのはオレのオリジナルだ。
オレはこの方法を徒手的頚椎牽引と名付けている。
はたして根津さんの頚を引っ張った結果はどうなったのか?
(次回に続く)
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