第670話 週80時間働く男 2

(前回からの続き)


 ここ2~3年、「医師の働き方改革」という事が言われてきた。

 そのための法律も整備され、その運用体制も整いつつある。


「医師の働き方改革」を簡単に言えば、これまで無定量に働いて来た医師の労働時間を制限しようというものだ。


 その事自体にはオレは賛成したい。

 人間の身体は、夜間も休日も区別なく働くようには出来ていない。

 昼間働いて、その夜に当直して救急対応して、当直明けもまた働くってのは正気の沙汰ではない。

 夜間や休日に自宅に電話がかかってきて病院に呼び出されるってのも考えてみれば頭がおかしい。

 が、ちょっと前まではそんな事は普通だった。


 オレ自身についていえば、若い頃は土曜も日曜も病院に顔を出すことが多かった。

 土曜か日曜のどちらか、病院に行かなくて済んだら「ラッキー!」という感じだ。

 土日の2日間、全く病院に顔を出さなかったら罪悪感を覚えた。


 今になって考えるとおかしな事だけど、当時は周囲の皆がそんな生活だったから何も疑うことはない。

 そもそも脳外科の部長自身が土曜も日曜も入院患者全員を1人で回診していた。


 もちろん休日出勤しても超勤なんかつかない。

 職場に労働組合はあったしオレも入っていたが、それは看護職や事務職の権利を守るための存在だった。


 その当然の結果が医師の過労死だ。

 古くは1998年の関西医大研修医過労死事件、26歳の研修医がマンションで死んでいるのを発見されたという事件があった。

 また、最近のものとしては甲南医療センターのレジデントが過労自殺したとして遺族が病院を訴えているというニュースもある。


 死に至らないまでも働き過ぎて心身の不調を来した研修医やレジデントはオレ自身が沢山みてきた。

「医者より患者の方が元気だ」という笑い話があるが、冗談ではすまない。


 で、2024年4月から医師の時間外労働の上限を年間960時間にする「医師の働き方改革」が施行されることになった。

 1年間は52週だから割り算すると週18時間の時間外。

 元々の勤務時間と合わせて、これ以上働いてはならないというラインは1週間に約60時間ということになる。


 ここで問題になるのが、勤務時間外に病院に残っているのを勤務とするのか自己研鑽とするのか、ということだ。

 入院患者の処置をしていたとか、救急患者の手術をしていた、というのは間違いなく勤務とするべきだろう。


 しかし、学会発表の準備のために残っていた場合はどうなのか?

 上司の命令によるならこれも業務であり、残業代が支払われなくてはならない。


 では、カンファレンスで不勉強を指導医に叱責され、病院に残って泣きながら教科書を読むってのはどうかな。

 オレは自己研鑽に入れるべきだと思う。

 教科書なんか家ででも読めるわけだし、そもそも勉強の足りない奴に支払う給料なんかあるはずがない。

 第一、そいつの不勉強で患者が死んでしまったら取返しのつかない事になる。

 だから、まともな医者になりたかったら、医療事故で患者に訴えられたくなかったら、勉強しろ。


 医師の場合、労働と勉強の境界が曖昧だ。

 だから同じ事をしても、それを勤務とみなすのか、自己研鑽として超勤をつけないのか、それが難しい。

 医師会の会合における研修医からレジデントへの質問はそういう事だったのだと思う。


これに対し、病院管理者はなかなか「ああしろ、こうしろ」とは言いにくい。

 うっかりした事を言ったら「法律に違反するんじゃないですか?」と突っ込みを入れられるからだ。


 でも、レジデントなら何とでも言える。

 単に「自分はこうしています。参考になれば幸いです」と答えればいいからだ。


 もし今の時代に自分が研修医やレジデントだったらどうするか。

 そして自分だったらどう答えていたのか?

 それを次回に述べたい。


(次回に続く)

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