第654話 安請け合いする男 1

「丸居先生!」


 病院の廊下で突然、呼び止められた。

 声をかけて来たのは白衣を着た金髪の若い青年だ。

 よく見ると顔の彫りが深い。


「お久しぶりです」


 よほどオレが怪訝な表情をしていたのだろう。


「ミカエル・リシャールです。10年以上前に母が先生にお世話になりました。今日は医学部の実習でこちらの救急に来ています」


 そう言われて少しずつ思い出してきた。


「お母さんのお名前は?」

「ローズ・リシャール、憶えておられますか」


 そう言われて電子カルテを開いてみる。

 オレの記憶は曖昧だが電子カルテの記録は正確だった。



 もう10数年前のこと……


 午後2時頃にオレの院内PHSが鳴った。

 内科の外来ナースからで、息が苦しいといって患者が来ているとのこと。


「2日前にこちらの救急外来にかかっておられてジスロマックを処方されたんですよ」

「病名は?」

「マイコプラズマ肺炎となっていますね。薬をのんで熱は下がったけど息が苦しくなってきたって」

「そんなもん、ジスロマックを3日間のんで後は寝ているしかないだろ。第一、診察時間外じゃん」

「そうですよね」


 そういって電話は切れた。

 診察時間外とはいえ断った事に罪悪感がないわけではない。

 でも、時間かまわずやってくる患者は無数にいる。

 全部に対応していたらキリがない。


 10分ほどして、また内科外来から電話だ。


「さっきの息苦しいと言っている方なんですけど、外人さんで泣いているんですよ」


 いやいやいや。

 外人さんとか泣いているとか、それ何の関係があるの?

 とはいえ、もう断る理由を思いつかない。


「分かった分かった。すぐ行くから」

「ありがとうございまーす」


 板挟みになっていた外来ナースはホッとした声になった。

 よく考えたら今から会議があるんだった。

 それを理由にして断ったら良かった。

 いい考えはいつでも後から思いつく。



 内科外来で泣いていたのは金髪の若い女性。

 小学生くらいの男の子が一緒だ。


「どうぞ、おかけください」


 オレは診察室の椅子を勧めた。


「御出身はどちらでしょうか?」

「フランスです」


 日本語は大丈夫そうだ。

 少なくともオレの英語よりは余程うまい。


 それにしても気がかないのは外来ナースだ。

 患者がフランス美女だと言ってくれてたら飛んで来たのに。


「もう何も心配することはありませんよ」

「ありがとう、ドクター」(泣)

「さあ涙を拭いて、辛い事があったら私にお話しください」


 大馬鹿野郎だな、オレは。

 でも、しくしく泣いている若い外国人女性をみたら、安請け合いしてしまう日本男児は大勢いるだろう。


「息が苦しくなってきたんですよね」

「ええ、一昨日に薬をもらって昨日は熱が下がったんですけど、今朝から息が……ゴホン、ゴホン!」


 思わずオレはのけぞった。

 マイコプラズマをうつされたら大変だ。


 息が苦しいとはいえ、問診票に書かれている酸素飽和度は95%もある。

 正常とは言えないまでも呼吸困難になるような数値ではない。

 一体何が起こっているのだろうか?


(次回に続く)


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