第655話 安請け合いする男 2

(前回からの続き)


 オレはさらに詳しい症状を確認した。


「どのように息が苦しくなるのでしょうか?」

「体が全体にしびれる……のです」


 全身の痺れ?


「具体的にどの部分が痺れるのでしょうか?」


 彼女は両手をさすった。

 両手というよりも両前腕というべきだろうか。


「足も……です」


 そういいながら両方の下腿をさする。


「なるほど。じゃあ口の周囲なんかも痺れるのでしょうか?」

「いえ、口は大丈夫です」


 ははーん。

 これは過呼吸かこきゅうだな。


「そいつは過呼吸ってやつじゃないかな」

「カコキュウ?」


 彼女には馴染なじみのない言葉だったみたいだ。

 オレはプリンターからコピー用紙を1枚取り出してそこに図を描いた。


「漢字は読めますか?」


 彼女は黙って横に首を振る。

 日本語がかなり出来ても漢字を読めない外国人は多い。


「じゃあ英語は?」

「分かります」


 そこでオレは白い紙に "hyperventilation" と書きながら「一生懸命に息をすることを日本語では過呼吸、英語ではハイパーベンチレーションと言います」と説明した。

 彼女はうなずいている。

 さらに、オレは紙に描いた人間の口から外に向けて矢印を引っ張り、その先に "CO2" と書いた。


「苦しいと思って必死に息をすると、体から二酸化炭素が抜けてしまうのです」


 そう言いながら "CO2" という文字を丸で囲む。


「二酸化炭素が減ると手足の先が痺れてくるわけですよ。時には口まで痺れてきます」


 両側の前腕と下腿に斜線を入れる。

 ついでに口にあたる部分にも斜線を入れた。

 こういう説明の時には患者自身が訴える症状に寄せることが大切だ。

 今回の例で言えば、手足に斜線を入れるのではなく、前腕と下腿に斜線を入れる。


「痺れて来ることは来ますが、これは決して悪いものではありません」


 彼女の表情が明るくなる。


「大きく、ゆっくり息をしたら痺れは徐々になくなっていくはずです。やってみて下さい」

「それがうまく出来ないので……ゴホン、ゴホン」


 思わずオレは顔をそむけた。


「じゃあ無理をしなくてもいいですよ。痺れていても問題ないし、いずれ自然に治りますから」


 これだけ言って帰してしまったら患者の不安にこたえたことにならない。


「おそらく夜中とか休みの日に調子が悪くなったらどうしよう、と心配なのではありませんか?」


 彼女は大きくうなずいた。

 そりゃそうだろう。

 どんな事情があるのか知らないが、異国に子供と2人で住んでいて病気になるくらい不安な事はない。


「もうダメだ、と思ったら遠慮なく119番で救急車を呼んでください」


 そう言いながらオレは紙に "#119" と書いた。


「救急隊が来たらウチの診察券を見せてください。そうしたらこちらに運んでくれるはずです」

「分かりました」

「念のため、電子カルテにメモを残しておきましょう」


 彼女は何のことか理解できていないようだ。

 説明を加えなくてはならない。


「救急隊から連絡が入ったときに当直医が電子カルテを開くと、最初にこのメモが目に入るわけです」


 オレは続ける。


「ここにメモを書いておきますから」


 声に出して読み上げながらメモに文字を打ち込む。


「フランス人女性で息子さんとの2人暮らしです。マイコプラズマにかかって非常に不安に思っておられるので、救急要請があった時にはできるだけ応需してあげてください」


 できるだけ当直医の男気おとこぎに訴えかけるような文面にする。

 「金髪美女です」と付け加えておけば男の医者どもには効果抜群のはずだが、あとで問題になってもいけないのでやめておいた。


「うまく救急車を呼べるでしょうか?」


 彼女の心配はきない。

 そこでオレはとっておきの秘策を披露することにした。


(次回に続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る