第647話 壺の好きな男 4

(前回からの続き)


 今回はベイズ推定について述べたい。


「壺の好きな男 1」で、なぜオレが画像診断よりも病歴や身体診察を優先したのか、という理由の説明にもなるからだ。


ベイズ推定というのは意識して、あるいは無意識のうちに多くの医師が使っている診断法だ。

というのも、画像診断を含めて如何なる検査も単独では確定診断をすることはできないので、然るべき手順を踏まなくてはならない。


例としてクモ膜下出血の診断を考えてみよう。

元々あった脳動脈瘤が破裂する事によってクモ膜下出血は発症する。

金属バットで殴られたような激しい頭痛が突然起こり、嘔吐や意識障害を来す。

診断がつき次第、脳神経外科で手術を行わないと8割の患者は死亡する。

手術をしても3割は死亡するという大変な病気だ。

だから、救急外来に頭痛の患者がやってきたら、まずはクモ膜下出血ではないかと当直医は緊張する。

クモ膜下出血を疑ったら最初に頭部CTを撮影しなくてはならない。

このCTで脳底槽に拡がるヒトデ形の白い出血がみられればクモ膜下出血だ。


「なるほど、救急外来に頭の痛い人が来たら頭部CTを撮ったらいいのか。それなら簡単な話じゃないか!」


そう思う人が多い事と思う。

が、話はそう単純ではない。


というのも「頭が痛い」と言って救急外来を訪れる患者は無数だからだ。


よくよく話を聞くと「若い頃から頭痛持ちだったけど医療機関にかかる時間がなかったので夜間の救急外来で診てもらおうと思って来ました」という病院職員とか。


担当医が頭痛患者の診察をしていたら「自分まで頭が痛くなってきたので診て欲しい」と言い出す付き添いの家族とか。


「大した頭痛じゃないんだけど、3日前に友達と電話をしているときに急に頭が痛くなった」と歩いてやってきた中年女性とか。


「今朝からだんだん頭が痛くなってきて熱も出てきた」と言いながら救急車で運ばれてきた若者とか。


「転んで膝を擦りむいたけど、救急外来に来たついでに頭も診てくれ」という頭痛持ちの高齢女性とか。


なにしろ頭が痛い人だけでも色々なバリエーションがある。


この人たち全員に頭部CTを撮影する時間もマンパワーも救急外来には無い。

また、仮にCTを撮影したとてすべてのクモ膜下出血を診断できるかと言われれば、それは不可能というもの。


何故なら、頭部CTでも出血が検出されない事は珍しくないからだ。

出血が少量だとか、発症から何日も経っているとかだと、CTを撮っても分からないことは良くある。


クモ膜下出血患者のうち何割をCTで引っ掛けることができるか、というのを医学では「感度」と呼ぶ。

一方、クモ膜下出血でない患者のうちの何割がCTで正常に見えるか、というのを医学では「特異度」と呼ぶ。

オレの経験では大雑把に感度は8割、特異度は10割といったところだ。


だから「CTで出血が見つかったからクモ膜下出血です」とは言えるが、CTで出血が見つからなかったからといって「クモ膜下出血ではありません」とは言えない。

クモ膜下出血患者のうちの2割は正常なCTなのだから、うっかり帰してしまったら、「翌朝、自宅で冷たくなっていた」という事になりかねない。

遺族に怒鳴り込まれた上に医療裁判で何千万円かの損害賠償請求をされてしまう。


で、こういった医者にも患者にも最悪の事態をどう避けるか、その切り札がベイズ推定だ。


先にあげた例の中ではクモ膜下出血らしい患者は電話中に頭の痛くなった中年女性だけで、残りはおそらく違っている。

ただし救急車で運び込まれた若者については化膿性髄膜炎が疑われるので、CTをすっ飛ばして直ちに抗菌薬治療を開始しないと天国に直行だ。


電話中に頭痛の起こった女性の場合、病歴から推測するクモ膜下出血の確率は70%くらいだ。

そうすると、彼女が100人いた場合、本当にクモ膜下出血がある人は70人、実はなかったという人は30人ということになる。


で、この70人がCT検査をした場合、感度が80%なので、クモ膜下出血が見つかるのは56人、見つからないのは14人となる。

一方、クモ膜下出血のない30人の場合、CTでクモ膜下出血が見つかるのは0人、見つからないのは30人となる。


ということは、仮にCTで何も見つかりませんでしたという場合でも、実に14人/(14+30)人=31.8%もの人間が「実はクモ膜下出血がありました」となるわけだ。

頭部CTで正常であっても、ほぼ3人に1人はクモ膜下出血だということになる。


つまり「怪しい病歴の患者はたとえ検査が正常でも油断するな」ということだ。

これがベイズ推定で、端的に言えば「病歴と検査結果が矛盾する場合、検査結果を盲目的に信じてはならない」ということになる。


逆に「病歴と検査結果に矛盾がなければ、検査結果を信じて良い」ということも言える。


上の例でいえば警備のオッチャンがクモ膜下出血である可能性は限りなく低いから1%程度と見積もるとしよう。

途中の計算を省くが、もしこのオッチャンの頭部CTが正常ならクモ膜下出血である可能性は0.2%であり「違うと思っていたけど、やっぱり違った」という当たり前の結果になる。


なので、病歴と身体所見から怪しい場合、たとえ検査結果が正常でも怪しい。

病歴と身体所見から怪しくない場合、検査結果が正常なら無罪放免。

つまり、検査結果に関らず怪しい奴は怪しく、怪しくない奴は怪しくない、というのがベイズ推定の真髄だ。


「じゃあ何のための検査なんだ。医者の直観の方を信用しろってのか!」と言う患者も多い事と思う。

が、多くの場合に医者の直観と検査結果は一致するので無用な心配はしない方がいい。

医者の直観と検査結果が一致しない場合は、さらに検査を進めることになる。


上の例でいえば、電話中に頭の痛くなった女性の頭部CTが正常であった場合がそれにあたる。

オレはクモ膜下出血があると思ったが検査では無かった。

さあ、どうする?


こういった場合は検査を重ねる。

頭部MRIや腰椎穿刺を行い、白黒をはっきりさせる。


CTでは正常だったけど「MRIで出血が見つかった」とか「腰椎穿刺で血性髄液がポタポタと出てきた」となったら「有罪!」となり、即座に手術室送りだ。


一方、CTでは正常であり、腰椎穿刺でも髄液が無色透明だった場合。

こういった時は「ちょっと心配しすぎたかな」と思いつつ家に帰すことにしている。

腰椎穿刺の感度・特異度がそれぞれ90%と5%であった場合、たとえ無色透明であったとしてもクモ膜下出血の可能性は計算上では5%程度残るが、どこかで踏ん切りをつけなくてはならない。


この5%を「まだ怪しさが残っている」と考えて頭部MRIを撮影する医師もいるかもしれない。

その場合、頭部MRIの感度・特異度をそれぞれ90%と100%として、もしMRIが正常であった時のクモ膜下出血の確率は計算上では0.5%程度となるので、そこまで追及する先生がいたとしてもオレは非難しない。

ちょっとやり過ぎ感はあるけど。


というわけで、診断学の精髄ともいうべきベイズ推定をオレは愛用している。

だから、最初から無闇に画像診断に飛びつくのは賛成できない。

もちろん時と場合によるんだけどね。


(「壺の好きな男」シリーズ 完)


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