第632話 生老病死を語る男 5

(前回からの続き)


 物忘れ対策の次は、若者に迷惑をかけない年寄りになる方法ってところだろうか。

 これも外来患者によく尋ねられる話で、いつも同じアドバイスをしている。


 多くの高齢者は、身体が不自由になって他人に迷惑をかけたくない、と思っているようだ。

 オレも若者とは言い難い年齢だが、まだまだ支える側にいる者としていくつか言わせてもらいたい。

 高齢者の身体からだが思うようにならないってのは当然の事だ。

 もし助けを求められればいくらでもお手伝いする気持ちはある。

 おそらく多くの善良な若者たちはオレと同じ考えだろう。


 ただ、高齢者に限らないが、耐え難い事が2つある。


 1つは不機嫌な人。

 なんだって苦虫を嚙み潰したような顔を常時しているのか?

 まったく理解に苦しむ。

 ニコニコしていれば大抵の事はうまくいくのに。


 表情だけならまだしも、言葉に出す人もいる。

 常に何かに怒っているようでは誰も寄り付かない。

 政治が悪いとか総理大臣が悪いとか言っても何かが変わるわけでなし。

 貴重な外来の診察時間を不毛な愚痴で消費するのはやめて欲しい。


 2つ目には話の長い人。

 若い人にもいるが、一般に年寄りは話が長くなりがちだ。

 意識して話を短くしないと皆の迷惑になる。

 話を短くする事の半分は能力的なものかもしれないが、後の半分は心掛けだ。

 だから話は短く、大切な事から始め、結論を先に言うべし。


 だから、いつもニコニコ、話は短く。

 市民公開講座ではこれをしゃべるとするか。


 ということで、本番に備えてスライドを作成した。

 全部で21枚。

 持ち時間は30分間だけど、25分程度で終わらせるつもりだ。

 早く終わる分には誰にも迷惑をかけないが、30分のところを35分しゃべったりすると、どんどん後ろにズレていく。

 だからオレはいつも早めに終わるように心掛けている。


 また、スライドの字のサイズも大切だ。

 高齢者ってのは小さい字が苦手なので、大きい字にしなくてはならない。

 時には20行くらいのスライドを持ってくる演者がいるが、オレに言わせれば狂気の沙汰だ。

 原則的としてオレはタイトル1行、中身を3行、合計4行のスライドを作っている。

 行間はしゃべりで埋める。


 例えば、物忘れ対策のスライド。

「物忘れ対策」というのがタイトル行だ。

 そして第1行が、「頭を使う」

 第2行が「整理整頓」

 第3行が「スマホの活用」


 このくらい単純でないと聴衆の頭には入らない。


 そして行間を話し言葉で埋める。


「頭を使う」の行だったら、「脳トレや数独もいいですね。私なんか医学の勉強とか英会話とかで頭を使うようにしています」などとしゃべる。


「スマホの活用」だったら、「広大な駐車場に停めたら帰りに車の場所が分からなくなってしまいますから、私はいつも写真を撮っておくようにしています。そうしたらC-108番とか、すぐに分かりますよね」などと言う。


 話し言葉の部分は全てを正確に憶えておくのが難しいので、紙にメモしておき、チラッチラッとカンニングしながらしゃべる。


 スライドが完成したら次はしゃべる練習だ。

 若い時はしゃべる練習を15回してから本番に臨んでいたが、今ではそんなエネルギーは残っていない。

 それでも5~6回は練習しているかな。

 練習を重ねると、より短くより明確にしゃべる事ができる。


 そしていざ本番!


 会場には15分ほど前に到着したが、すでに市民がどんどん集まってきている。


 と、準備万端のはずが大変な失敗をしている事に気づいてしまった。

 もう後の祭りだ。


(次回に続く)

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