第624話 小脳出血の男 3

(前回からの続き)


翔崎しょうざきさん、翔崎しょうざき農一のういちさんはおられますか?」

「はい」


 手術室の外の待合でオレが声をかけると、母娘ははこらしい女性2人が立ち上がった。


「私は丸居まるいと申します。翔崎しょうざきさんの手術がそろそろ終わりになり、現在は閉頭にかかっています」

「あの……主人の状態は」

「手術自体はうまくいって無理のない範囲で血腫をとり、除圧することができました。ただ、どのくらい回復するかは今のところ不明です」

「助かりますか?」


 ここの説明が難しい。

 命が助かるということと社会復帰できるという事の間には大きなへだたりがある。

 それを素人にも分かるように説明しなくてはならない。


「我々の目標としてはまず命を助けること」

「ええ」

「命が助かったら、次は意識が戻ることが目標になります」


 命が助かっても植物状態だという事はいくらでもある。


「そして意識が戻ったらできるだけ後遺症が少ない状態になってもらうのが目標です」

「やっぱり後遺症は出るのでしょうか」

「必ず出ます」


 間違いなく後遺症は出る。

 そいつが大きいか小さいかだけだ。


「後遺症というのを具体的に言うと、手足の麻痺や言語障害などです」


 そういうと母娘ははこ溜息ためいきをついた。


「手術の方ですが、閉頭が終わったらCTを撮影してICUに入ります。たぶん1時間ほど先ですね。それからCTの画像をお見せして再度お話させていただきます」

「よろしくお願いします」


 その場を立ち去りかけてオレはもう1つ付け加える事を思い出した。


「もし人工呼吸器から離脱できない場合、1~2週間の間に気管切開きかんせっかいが必要になります。簡単にいえば喉を切って、より呼吸をしやすくするわけです」

「……」

「喉を切るというと悲惨なイメージがありますが、不要になったら気管切開チューブを抜くだけで元に戻りますので、心配しないようにしてください」

「はい」


 たぶん母娘は話についていけていないだろう。

 でも言っておく事が大切だ、何度でも。



 驚いた事には術直後のCTでは血腫がほとんど抜けていた。

 脳幹のうかん周囲にも隙間すきまが出来ている。

 そして脳室ドレナージチューブは側脳室体部に留置されていた。

 予想以上の出来栄できばえだ。


 ICUへの入室後、CTを見せながら奥さんと娘さんに説明を行う。


「手術は思った以上にうまく行きましたが、状態が厳しいのは先ほど申し上げたとおりです。極端な話、今日か明日に亡くなってもおかしくはありません」

「……」

「とにかく、いつでも連絡がつくようにしておいて下さい」


 そう言ってオレは席を立った。


 後はレジデントが色々な書類に家人のサインをもらうために残っている。

 その中には気管切開の手術同意書もあるのかもしれない。



 翌日のICU回診。

 レジデントが病状を報告する。


「自発呼吸が出てきて、痛み刺激に開眼するようになったんです」

「ええっ?」

「ホントですよ、信じられないかもしれないけど」


 昨日は「死ぬ確率が五分五分以上」と言っていた患者が、今日は回復の希望を持たせてくれる。

 これが小脳出血の読めないところだ。

 生きるはずの人間が死に、死んだはずの人間が生き返る。

 だから、オレたちは諦めてはいけないのだろう。


 予想外の回復とはいえ、先は長い。

 油断禁物、気を引き締めてかからなくてはならない。


(小脳出血の男シリーズ 完)

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