第614話 発作の出る男 1

 妻の伯父の体調が悪くなった。

 良好だった気管支喘息のコントロールが悪くなり、毎晩のように発作が出る。

 そして発作治療薬のサルタノールが効かなくなった。


 ちなみに気管支喘息の治療は発作予防と発作治療に分けられ、それぞれに対応する薬をコントローラー、リリーバーと呼ぶ。

 そして重症度に応じてステップ1(軽症間欠型かんけつがた)からステップ4(重症持続型)までの分類があり、重症になるほどコントローラーを増やして厳重に発作予防をすることになっている。

 一方、起きてしまった発作を治療する薬はリリーバーだが、種類はさほど多くない。


 伯父の場合、長い間コントローラーとしてアドエアー(吸入ステロイド+長時間作用型β2ベータツー刺激薬)を用い、稀に起こる発作にはサルタノール(短時間作用型β2ベータツー刺激薬)を使う事によって、20年近く快調に過ごしてきた。

 ところが最近になって発作が頻発するようになったのだ。

 しかもこの発作の性質たちが悪い。


 以前の発作はサルタノールを吸入すると痰の詰まったような感覚がスッと消えて呼吸が楽になった。

 ところが現在、毎晩のように起こっている発作ではサルタノールを吸入してもスッとならない。

 そのまま布団の上に胡坐あぐらをかいて座っていてると、しばらくして呼吸が楽になってくる事が多いが、時には呼吸困難が長引いて朝まで眠れなかったりする。


 発作が頻発ひんぱつするばかりではない。

 食欲がなく便秘気味、そして体重が減った。

 また、倦怠感けんたいかんが強くて毎朝のラジオ体操もできない。

 そればかりか手足に力が入らなくなったせいで、布団ふとんをあげることができなくなった。


 80代後半の人間の日常生活としては特別おかしいものではないが、それでも症状の悪化が急激すぎる。


 1度、伯父の自宅に顔を見に行ったが、敷きっぱなしの布団の上で寝たり起きたりの生活をしているようだった。


 もちろん、伯父はかかりつけの呼吸器内科クリニックに行って相談した。

 その結果、コントローラーのアドエアーにもう1種類、シングレア(ロイコトリエン受容体じゅようたい拮抗薬きっこうやく)が追加された。

 さらにリリーバーをサルタノールからメプチン(短時間作用型β2ベータツー刺激薬)にかえた。

 そうすると少しばかり発作の起こる回数が減ったような気がするそうだ。


 気管支喘息の悪化だろうか、それとも悪い病気にとりつかれてしまったのだろうか?

 食欲がなくて便秘気味で体重が減った、ということを素直に考えれば消化管の癌が考えられる。


 そこでスクリーニングとして腹部CTを撮影してみた。

 すると上行結腸の壁肥厚へきひこうがみられ、放射線科の所見は「大腸癌を否定できない」となっている。

 妻とオレは「これが体調不良の原因だ!」と思い、即座に大腸内視鏡検査ファイバーを手配した。


「色々な病気にはなったが、90歳近くまで生きることができたのだから、伯父さんにとっては良い人生だったに違いない」とオレは心の中で伯父に別れを告げた。


 大腸内視鏡検査ファイバーは妻の勤務する病院で、気心きごころの知れた医師に頼んだ。

 その方が伯父の家からも近く、何かと融通ゆうずうく。

 幸いな事に内視鏡ファイバーは無事に終わり、これといった異常も認められなかった。

 とりあえず最悪の事態は避けられた事になる。


 相変わらず体調不良の原因は分からないままであったが、オレは心の中の「別れ」を撤回した。


 が、内視鏡検査ファイバーの翌々日の早朝、事件は突然に起こった。


(次回に続く)

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