第613話 おめでたい男
「予定日がいつとか言っても、こっちの都合とは関係なしに赤ん坊ってのは出て来たりするんですよね」
「1人目だと早くなったり遅くなったり色々なのよ」
診療局長は自分自身が3人産んだ経験があるだけに詳しい。
「
「4人目らしいんですよ」
「じゃあスムーズに生まれるんじゃないかな」
オレたちがこんな会話をしていたのは診
10日後に予定日が迫る中、父親として2週間の育休を取りたいという申し出があった。
現代日本において新しく生まれる赤ん坊は絶対正義だ。
だから「No!」という選択肢はない。
オレが考えなくてはならないのは、茨城くんのいない間、
手持ちの
と、ちょうど茨城くんが出勤してきた。
「確か予定日は来月の8日だったかな」
オレが尋ねると茨木くんは照れくさそうに「いや、週末に生まれちゃったんですよ」と言う。
「ということは今日から育休か!」
「いや嫁が入院している間は問題ないんで、来週の月曜から育休を取りたいんですけど」
「分かった、じゃあ根回しが必要だな」
「よろしくお願いします」
それから数時間後、関係者が副院長室に集まった。
各診療科に散らばっている診療看護師の組織図上の上長は副院長になる。
だから副院長を含む皆で善後策を考えようってわけだ。
「茨城くんが抜けると
副院長がオレに尋ねる。
「できれば神経内科に行っているNPの
そういうと神経内科の
「実は茨城くんの相棒の
「なんだ、2日でいいのか。2週間行きっぱなしかと思ったよ」
「そうしてもらうと助かるのですけど、神経内科の方に差支えがあるといけませんから」
恐山先生は「ザ・昭和」といった頑固親父だが、今日はなんだか良い人みたいだ。
結局、茨城くんと寿栄松さんを含んだ話し合いで、毎日午後だけ手伝いに来てもらうことで決着した。
ホッと一息つくオレに恐山部長から声がかかる。
「神経内科の方もマンパワーが足りなくなるので、関係各方面に協力をお願いしたいんだけど」
さすが良いだけの人ではなかった。
何か交換条件のようなものを準備してきたわけだ。
この抜かりなさ。
それでこそオレたちの恐山部長だぜ!
「まず、朝の割り付けで神経内科の負担を減らしてもらえないだろうか?」
割り付けとは、前夜に入院した救急患者を翌朝に各診療科に振り分けることを言う。
当然、専門性を考慮しての事になるが、肺炎や
たとえば、その日の当番が神経内科、次の日が血液内科、その次の日が膠原病内科だったとしよう。
ここに肺炎患者が3人いたとすると神経内科が2人、血液内科が1人、膠原病内科が0人引き受けるのが現在のルールだ。
ところが恐山部長はこのルールを
「分かりました。内科系各診療科には私の方から根回ししておきます」
恐山部長は静かに
「それと意識障害や痙攣発作は脳神経外科にも半分負担してもらえないだろうか?」
な、なるほど。
さすが、鋭い踏み込みだ。
「じゃあ、脳外科の方にも私から話をつけておきます」
とはいえ、脳外科医にとって中毒や脳炎が原因の意識障害は荷が重い。
オレも脳外科医の1人だから「頭を使う仕事は勘弁してくれ!」という気持ちは良く分かる。
一方、痙攣発作なら
割り付け担当のオレはうまく意識障害を神経内科に、痙攣発作を脳外科に回して数だけ合わせておこう。
そんな
「それ、先生が根回ししなきゃいけないんですか!」
「えっ?」
「先生のところに生まれたわけでもないんでしょう」
「そりゃそうだけど、
言われてみれば、茨城くん自身が根回しするという考え方もあるのかもしれないな。
とはいえ、各診療科の部長相手に交渉するとなると
現実の根回しでは、
もちろん、それぞれ腹の中では何を考えているのかは分からない。
とりあえず目の前の問題は片付いたかに見える。
次にどんな問題が起こるか想像するだけでも怖いけど、実際に起こってから対策を立てることにしよう。
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