第607話 スズメバチに襲われた男

 なんだかリアルな夢を見てしまった。

 忘れないうちに書きとめておこう。


 駅のプラットホームに電車が入ってきた。

 妻とともに乗ろうと思っても乗降口がない。

 仕方なく新幹線みたいな形をした最後尾の車両まで行く。

 そこで乗務員用の扉から乗ろうとしたが運転士が立ちはだかっていて乗れない。

 なので、車両の先端を回り込んで反対側から乗った。

 先に乗り込んだはずの妻を探す。

 ざっと見渡しても見当たらない。

 じゃあ別の車両か?

 そう思って隣にうつったが、そこにもいない。

 どんどん移動していったら遂に先頭車両まで来てしまった。

 そこは座席がなく床一面にカーペットが敷かれている。

 修学旅行なのか小学生たちが大量に遊んでいた。

 妻は何処いずこに?

 途中の車両にいたのを見落としたのかもしれない。


 場面が変わる。


 オレは田舎の道を歩いていた。

 左右に背の高い木が並んでいる。

 そして、遥か頭上にスズメバチの巣があった。

 バスケットボールほどのサイズだ。

 周囲には多くのスズメバチが飛んでいる。

 危ないので、できるだけ巣から遠くを歩いた。


 再び場面が変わる。


 ふと気づくと今度は家の中。

 天井にスズメバチの巣がぶらさがっている。

 まだ作りかけの小さなものだが表面にはあの邪悪な模様が……

 周囲には大小様々なスズメバチが舞っている。


 どうしたらいいんだ、これ?


 オレは慌てて隣の部屋にのがれた。

 妻が掃除機を持ち出す。

 そして片っ端からハチを吸引し始めた。


 オレも加勢しようとして、手探りてスプレー缶を持ったつもりが歯磨き粉だった。

 妻がハチと戦っている横で、思わず歯を磨き始める。

 ハチは面白いように掃除機に吸引され、すっかりいなくなった。


 後は巣を何とかしなくてはならない。


 そこで目が覚めた。


 午前3時。


 妙にリアルな夢だった。


 夢というのは起きた直後には憶えているが、時間とともにどんどん記憶が薄れていく。

 その場で書いておかないと忘れてしまう。


 これらの夢にどんな意味があるのか、それともないのか。

 考えるのは後にしよう。



 外来患者によく言われるのが「夢ばかり見てよく眠れないんです」というものだ。

 たぶん「よく眠れないから昼間に疲れやすかったり眠かったりする」と言いたいのだろう。


 が、オレに言わせれば「夢ばかり見る」という事と「よく眠れない」というのは同じではない。


 一晩ひとばんの睡眠の中で夢を見ている時間(レム睡眠の時間)と夢を見ていない時間(ノンレム睡眠の時間)は誰でもほぼ一定だ。

 夢を見ているレム睡眠の間は脳が活動している一方で身体が完全に脱力して休息をとっている。

 夢を見ていないノンレム睡眠の間は脳が完全に休息をとっているが、身体はもぞもぞと動いている。


 夢を見るというのは、たまたま夢を見ているときに目が覚め、かつ見た夢を覚えている、という事に過ぎない。

 そして、一般にはレム睡眠から自然に目覚める方が、ノンレム睡眠から目覚まし時計で無理に起こされるよりも爽やかだ。


 だから「夢ばかり見る」というのは決して悪い事ではない。

 むしろスムーズな目覚めとともに朝からのスタートダッシュを可能にする。


 が、こんな込み入った話を忙しい外来の間に説明する気には到底なれない。

 仮に説明したとしても、次の受診の時までにはすっかり忘れられているだろう。

 だから「それは大変ですねえ」と受け流すのがいつもの事だ。


 それにしても睡眠とか夢ってのは不思議な存在だと思う。


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