第606話 心理的安全の男 3

(前回からの続き)


 オレは学会での講演を続けた。


「もちろんチームというのは、ぬるま湯ではいけません」


「なあなあ」で済ますならチームを作る意味がない。

 そこには達成すべき明確な目標が必要だ。


「そこで実例を紹介したいと思います。その昔、ニュースで見た事件ですが」


 もう15年か20年ほど前になるかと思う。

 たぶん週刊誌か何かで見た記事だ。


「とある金融機関に包丁強盗が入ったわけです。職員たちは手も足も出ず、悠々と大金を持っていかれてしまいました」


 オレはスライドで説明した。

 さすがにピッタリのイラストはなかったので自分で作ったものを使う。


「悔しいやら、情けないやら。それで職員たちは次に備えて強盗対策の訓練を重ねたのだそうです」


 もちろんお金より人命の方が大切だ。

 さっさと札束を渡して帰ってもらう、というのも1つの考え方だろう。

 でも、そこの職員はそう思わなかった。


「で、1年後にまた強盗に入られたけれども、今度は皆で取り押さえることができました。驚いた事に1年前と同一犯人だったそうです」


 会場から苦笑が聞こえてくる。


「話はここからです。一丸となった職員の士気は上がり、何と営業成績もトップを取ってしまったのだとか」


 思わぬ効能があったのにはビックリだ。


「おそらく強盗対策の訓練は皆で試行錯誤しながらやったんだと思うんですよ。熱意も得意分野もそれぞれに違う人たちが遠慮のない意見をぶつけて皆で頑張った、その過程で期せずして最強のチームが生まれたわけです」


 週刊誌の記事1つでここまで想像するかね、オレ。


「本業においても最強チームぶりが発揮された結果、営業成績まで急上昇上したというんだから凄いですね」


 ウンウンとうなずく聴衆たちの眼差まなざしにはオレに対する尊敬の念がこもっていた。

 本当に偉いのはオレじゃなくて、当該金融機関の職員たちなんだけど。


 というわけで学会での講演をうまくくくることができた。


 後は質疑応答の時間だ。

 一夜漬けの知識しかないが、専門家のような顔をして答える。


「心理的安全性の大切さは分かりましたが、お医者さんたちに浸透させるのは大変だと思うのですけど」

「あの偏屈へんくつ集団に社会的常識を求めても無理ですよ」


 オレも偏屈集団の1人だけど、ここは知らん顔で語っておこう。


あきらめろというのですか」

「いやそうではありません。指導医講習会なんかに参加してもらうと、皆さん結構いい事を言うんですよ」

「そうなんですか」

「なので人の心が足りていないだけで、欠落しているというわけではないと思いますよ」

「なるほど」


 他にも質問が相次ぐ。

 某病院の副院長先生だ。


「他人に寛容にならなくては、と思ってもなかなか難しいのですが、何か工夫はありますか?」

「私自身、疲れていたり、空腹だったり、寒かったりすると他人様ひとさまに寛容になるのは難しいですから……」

「ほほう」

「衣食足りて礼節を知るじゃないですけど、自分自身の体調を保つことも1つの方法だと思います」


座長からも質問があった。


「病院での講演会なんかを企画したらいいんですかね」

「聴きっぱなしのものよりも双方向性インタラクティブのものがいいんじゃないですか。ワールドカフェとか」

「ああ、本部の研修で何回かやりましたね」

「先生も御存知のとおり、準備が簡単ですからやってみられたら?」


 ということで、思いがけず盛り上がった講演になった。


 心理的安全性が高く、明確な目標を掲げた組織の構築。

 言うはやすく、行うはかたし。

 でも挑戦する価値は十分にあると思う。


(「心理的安全の男」シリーズ 完)


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