第602話 足のだるい男

 医者を殺すにゃ刃物は要らぬ

 年寄り三人いれば良い

     hekisei


 外来診療をしていて1番困るのは話の長い人だ。

 何が言いたいのか分からない。

 大切な話だと思って一生懸命聞いていたら全く関係ない話だったりする。


 もうそんな時は「大切な話から始めてもらっていいですか?」と小一時間こいちじかんばかり説教したいくらいだ。


 近頃の脳外科外来は高齢者が中心になっている。

 最も多いのが80代、つづいて70代、60代となるだろうか。

 やはり人間、年を取ると話が長くなる。

 が、高齢者ばかりがそうというわけでもない。

 50代でも話が要領を得ない患者はいる。


 そしてそんな人が連続3人も来ると、こちらも疲労困憊ひろうこんぱいだ。


 先週もそんな状況でタラリと汗をかきながらの外来診療。

 患者本人は自分の話が長いということに全く自覚がない。


 いい加減イライラし始めたところで70代の患者に尋ねられた。

 奈賀花史郎ながはな しろうさんだ。


「あの、先生。車の運転なんですがね」


 相手が言い終わらないうちにオレは返事をしていた。


「駄目です。絶対に駄目ですよ、車の運転なんか」


 そう言うと必ず反論が返ってくる。


「でもお、運転といっても……」


 再び話の腰を折る。


奈賀花ながはなさんみたいに話の長い人はね、横から子供が飛び出したら対応できないでしょう」

「そんな事を言うけど……昔は……」

「もうね。パッパッパと対応しないと事故を起こしますよ」

「マニュアルのね。もう若い人は知らないかも……」

奈賀花ながはなさんの話が短くなったと私が感じたら免許取得の事も考えましょう。今のままでは無理ですね。走る凶器ですよ、奈賀花さんの車は」


 ひどいなあ、という抗議の声には耳をふさぐ。


 そんなこんなでようやく外来が終わった。

 午前中のはずが、もう午後2時近い。


 なぜかだるくなった足で部屋に戻ろうとしたら医師事務の女性がオレの前に立ちふさがる。


「先生、後遺障害認定の診断書を書いて欲しいという電話がありまして」

「……」

「先日、2ヶ月ほど前にウチからリハビリ病院に転院された方で」

「……」

「主治医も担当医も異動でいないんですけど、シャント手術の時に先生が助手で入っておられたみたいなんで」

「……」

「それでお願いできないかと思って」

「あのね、オレはもう誰にも話しかけられたくないの」

「植物状態だったら発症から3ヶ月で障害固定にできるって事なんで」


 書けるか書けないかはこの際、問題ではない。

 もう誰とも話をしたくないわけ。


「それで患者さんのお母さまからお電話があって、診断書が……」


 その時にようやく異変に気づいた外来ナースが彼女を制してくれた。


「あのね、丸居先生は昼も食べずにトイレにも行かずに今まで外来をやってきたんだから、お話は後にしておきましょうね」


 そう言われて医師事務はようやく事態を察してくれたようだ。


「きっと明日だったらいい返事が出来ると思うよ。とにかく今は1人にしてくれないかな」


 そう言ってオレは彼女の横をすりぬけて部屋に向かった。


 なんで年寄りの長話ながばなしを聞かされたらふくらはぎがだるくなるのか。

 それは今でも謎のままだ。



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