第597話 食べない女 6

(前回からの続き)


 これまで多くの担当医が、診療看護師NPが、摂食障害患者によって心をへし折られてきた。

 一体、何が問題だったのか。

 オレはその経緯けいいを思い出してみることにした。


 まず思い当たる事は精神科医の無関心さだ。

 無関心というのが適当でなければ当事者意識の無さかもしれない。


 そもそも摂食障害という強大な敵と戦うためには医療側スタッフが一体となる必要がある。

 にもかかわらず、そこに当事者意識のない人間がいたらどうなるのか。


「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」


 まさにナポレオン・ボナパルトの言った通りだ。


 実際は精神科の先生方も彼らなりに色々な努力をしているのだろう。

 しかしながら、結果として患者の心を入れ換えさせることができなければ同じ事だ。

 単に「大変ですね。頑張りましょう」と言うだけならオレでもできる。

 少なくとも「一緒に頑張っている感」が無ければ、医療チームの他のメンバーはヤル気をなくしてしまう。



 次に思い当たる事と言えば、やはり治療する過程で先が見えない事かもしれない。

 つまり見通しの悪いまま治療を続けなくてはならない、という事だ。


 ただ、数年前と違って最近は摂食障害の診療ガイドラインが存在する。

 こういうものを参考にしながら治療するのが1つの方法なのかもしれない。



 最後に患者との距離感が大切だ。


 つい他の入院患者と同じように親しくなりすぎて大火傷おおやけどをしてしまう。

 少し心理的距離をとった方がお互いに傷つかずに済む。

 オレたちは日々、何十人もの患者を相手にしている。

 個々の患者にくことのできる時間はわずかだし、いちいち心をんでいる余裕もない。



 さて、何だかんだ言っても多部内たべないサクラさんは実在している。

 だから、どういった体制で彼女を治療するかを具体的に考えなくてはならない。


 まず総合診療科そうしんが主科になるにしても、精神科が共観きょうかんになるのは当然だろう。


 共観というのは、2つ以上の診療科が同時に1人の入院患者にかかわることで、双方とも同等の権限を持つ。

 だから精神科が共観になった場合、いちいち総合診療科に断らずに検査や投薬指示を出して良いことになる。

 共観というのは当院での呼称こしょうで、併診へいしんとか対診たいしんとか呼んでいる病院もある。


 また、少なくとも週1回の総合診療科カンファレンスには精神科医にも参加してもらう必要がある。

 カンファレンスの場で、当該患者にどんな問題があってどういう治療方針が良いかを議論するからだ。

 いくら精神科に「身体的な事は全てお任せします」と言われても、こちらは釈然としない。

「任せてもらっては困る。一緒に悩んでくれよ」というのが当方の本音だ。


 また、入院初日には治療目標を精神科と一緒に決めた方がいいだろう。

 本人が食べるようになったら退院なのか、えず点滴や輸血で生命の危機を脱したら退院なのか、その辺りのわせも必要だ。

 また、患者の病状が改善傾向にあるのか悪化傾向にあるのか、その指標をどうするのかの共通認識も持たなくてはならない。


 やる事は沢山たくさんある。


 他の人が診ないのであれば、手探てさぐりながら総合診療科そうしんほかはない。

 一体どんなドタバタ劇が繰り広げられる事になるのか?

 だんだん興味が湧いてきた。


 ひとつオレも参加してみるか。


(次回に続く)



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