第593話 食べない女 2

(前回からの続き)


 そもそも何で摂食障害の患者にかかわる羽目はめになってしまったのか。


 新しく精神科の外来に手伝いに来た非常勤医が摂食障害を専門としていたからだ。

 専門と言ったら言い過ぎかもしれない。

 摂食障害であっても診療を忌避きひしないナイスガイだったという方が当たっている。


 いつの間にか、彼の外来には数人の摂食障害患者が定期通院するようになった。

 が、食べない患者というのは体調を崩しやすい。

 そのたびに入院となるのだが、その患者を総合診療科そうしんが担当することになってしまった。


 しかし、無理に食べさせたら終わりってわけじゃない。

 というのも長期的に飢餓状態にある患者が急に食べ始めるとリフィーディング症候群を起こしてしまい、これまた生命の危機にひんするからだ。


 リフィーディング症候群というのを簡単に説明しよう。

 人間は慢性的な栄養不足が続くと、いつの間にか体内のリンが不足してしまう。

 そこにいきなり十分量の栄養補給が行われたら、その代謝のためになけなしのリンが使われてしまうので、ますます他部位でのリン不足に拍車がかかってしまい突然死の原因になるのだ。


 オレはよくたとばなしで説明する。


 ある青年が長い間の貧乏で所持金ゼロに近い状態であったとしよう。

 運よく就職することができたので、これからは決まった給料をあてにすることができるぞ、と喜んでいた。

 ところが出社するためのスーツを買ったところ、わずかに残っていたお金が不足して破産してしまう。

 就職一時金なんかがあったら破産を回避することができたのに。


 そんな話だ。

 ここでお金と呼んでいるものが、人体ではリンということになる。


 だから摂食障害の患者に栄養補給する場合、意識してリンを補わないと大変な事になる。

 この匙加減さじかげんが難しい。

 摂食障害患者がどのくらい食べるかの予測がつかない上に、点滴も採血も拒否されがちだからだ。

 点滴を抜かれては入れ、抜かれては入れ、さらにののしられながら採血することになる。

 摂取カロリーを計算して出した入院食は病棟看護師の目を盗んでゴミ箱に捨てられてしまう。

 さらに、うまく低リン血症を回避したとしても、その次に肝機能障害が起こりがちだ。

 そこまで先回りして対策を打てる人間がいるはずもなく、どうしても治療は手探てさぐりになってしまう。


 総合診療科では治療以前に担当の医師や診療看護師NPのメンタルがやられてしまうという事が続出した。


 ナイスガイであるはずの非常勤医は「患者さんの心のケアは僕に任せておいてください。でも、身体の方はお願いします」というだけで、電解質補正などに関する気の利いたアドバイスをくれるわけでもなかった。


 たった3~4人の入院患者に総合診療科の膨大な人的リソースが費やされるにつれ、徐々に「摂食障害? 勘弁してくださいよ」という空気が醸成じょうせいされることになった。

 そればかりか「心のケアとおっしゃるけど、誰一人だれひとりとして心を入れ換える患者さんがいないじゃないですか!」と精神科医に非難が集中する。

 そうこうしているうちに非常勤の精神科医は人事異動でいなくなった。


 かくして当院での摂食障害治療は冬の時代に入ることになる。


(次回に続く)

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