第580話 思い出を共有する男 3

(前回からの続き)


 水尾くんが行方不明になることによって皆を困らせていたのに対し、数年前にいたレジデントの夜桜一平よざくらいっぺい先生はまた違うタイプの困った人だった。

 彼はとにかく何でも先延ばしにする。

 作成すべき診断書も意見書もサマリーも。


 驚かされたのは行政への届出だ。


 感染症法に基づく結核発生届けを彼は出さなかった。

 本来なら診断したら直ちに届けなくてはならない。

 それを放置していたのだ。


 別ルートで結核患者の発生を知った行政からは矢の催促。

 でも、彼は「すぐに出します」と言ったきり何もしない。

 ついに担当者から「もういいです」と言ってきた。


 ウチでは結核の入院治療はしていないので、患者はすぐに専門病院に転院になる。

 その病院からの入退院届が提出されたか何かで、行政の方も必要な情報を得ることができたのだろう。


「戦わずして行政に勝った男」として彼は伝説となった。


 しかし、こんなのは氷山の一角だ。


 彼の使っていた引き出しやロッカーを開けるのは恐ろしかった。

 1年半も手をつけていない診断書とか、紛失したと思われていた物品とか、カロリーメイトとか、色々なものが出て来る。

 だから誰も扉を開けたがらなかった。


 それだけではない。


 人事異動で大学に戻ったときに、彼はキャンパス内の道路に自分の車を長期間駐車していたのだ。

 彼の行為が大学の駐車場係の逆鱗に触れたため、脳外科医局の貴重な入構許可証の発行枚数が減らされてしまった。

 いわゆる連帯責任ってやつだな。


 そのせいでも無いだろうが、彼の車が積んでいたパソコンごと盗難にあった。

 車は私物だから誰も彼に同情しなかったが、パソコンの方は機密情報満載だったらしい。


 彼の車が山の中で発見された時、ほとんど廃車状態といってもいいほどにボロボロになっていたが、そのことを気にする人はいなかった。

 しかし、パソコンを紛失したままだった事は厳しくとがめられた。


 ついに温厚な教授も怒り、大学院生でありながら島流しにされてしまった。

 飛び地のように離れた他県の関連病院に。


 彼が何かやらかしたとしても、自分の視界に入らなければそれで良し、と教授も考えたんだろう。


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