第579話 思い出を共有する男 2

(前回からの続き)


 こういった送別会では、どうしても過去のレジデント列伝に話が及ぶ。

 大抵のレジデントは無限の体力とはがねの心で1日24時間働くが、10人に1人くらい困った若者が混ざってしまう。


 たとえば水尾くん。


 彼はすぐに行方不明になってしまう。

 脳外科では同時に2ヶ所に存在しなくてはならない事がよくある。

 重症患者の搬入で救急外来に呼ばれると同時に担当患者が病棟で急変する、といった事態だ。

 こんな時は優先順位をつけるとともに誰かに代理を頼むのが定石だ。

「俺は病棟に行くから、誰か救急外来を頼む!」とか。


 が、水尾くんはどちらにも居ない。


 救急外来では「病棟で急変があったから、そちらに行ったんだろう」と好意的に解釈する。

 一方、病棟には「救急外来に呼ばれたんだろう」と思ってもらう。

 しかし、水尾くんはどちらにもいない。


 どうなっているんだ、消えたのか?



 また、別のある日の事。

 早上がりのナースが午後4時頃に病院を出たところ、見てはいけないものを見てしまったそうだ。


「表の道路で、私服の水尾先生が歩いていたんですよ」


 なんじゃ、そりゃ!



 さらにある日の事。

 上級医が水尾くんを説教した。


ほかの人が1年で出来る事を君は3年かかってもいいから、とにかく努力を続けなさい」


 すると横にいた別のレジデントに指摘された。


「『3年かかってもいい』なんて言ったりしたら、『最初の2年は休んでもいいんだ』と解釈しますよ。こいつはそういう奴です」


 何と本人の目の前で言ってしまったのだ。

 抗議しかけた水尾くんだが、周囲の全員が大きくうなずいているのを見て、黙ってしまった。



 彼が異動で去ってからもう1年になるか2年になるか。

 直接知っている人間も徐々に減ってくる。



「そんな先生がいたなんて、会ってみたいです」


 水尾くんを直接知らない外来ナースがそういうと皆が返した。


「会うなんて、そりゃ不可能だ」

「あいつは何処にもいない」


 実際、水尾くんを捕まえるのは至難の業。


 かりに本人を目の前に引っ張ってきたとて、あまりの存在感の無さに驚いてしまう。

 半透明の水尾くんを通して向こうの景色が見えてしまう、といってもいいくらいだ。


 プライベートで付き合うには悪い奴じゃないんだけど。

 一緒に仕事をするとなると一方的に尻を拭かされるので、皆が辟易へきえきする。


 とはいえ、困ったレジデントは水尾くんだけではない。

 彼に匹敵する人は他にもいるので順次紹介したい。


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