第577話 ベンツ貯金をする男

「13年前というとその患者さんが20歳くらいの時の事故だったのですか?」


 そう尋ねてきたのは製薬会社のMR。

 いわゆるセールスマンだ。

 抗痙攣薬の売り込みに来たので、空いている診察室で話を聴いた。


「いや、計算してみると17歳かな」


 オレは電子カルテで脳挫傷患者の生年月日を確認しながら答えた。


「17歳で交通事故にうなんて悲惨ですねえ」

「そりゃそうだけど、ちょっと微妙かな」


 当時の電子カルテの記載を読むと、信号を無視して交差点に進入した患者のバイクに乗用車が出合であがしらで衝突をしたとある。


「17歳という事は自分で金を貯めてバイクを買ったわけじゃないだろ」

「そうですね」

「多分、親が買い与えたわけだ。それで事故っているんだから起こるべくして起こったとしか言えないな」


 オレ自身も身に覚えがあるが、10代の男の子ってのはエネルギーをもてあましている。

 その状態でバイクや車のハンドルを握ったらどうなるか。

 命がいくつあっても足りなくなる。


「ウチも注意しないといけないですね」


 MRがぼそっとつぶやく。


「子供さんは?」

「小学校4年生と1年生です」

「男の子?」

「ええ、両方とも男です」

「そりゃ危ないな」

「そうなんですよ」


 子供にせがまれてうっかりバイクなんか買い与えたらアウトだ。


「もしバイクが欲しいと言われたらベンツだ」

「ベンツですか」

「ベンツを買ってやるからバイクはやめとけ、と言ったら子供も納得するだろう」


 荒唐無稽こうとうむけいと思われるかもしれないが、オレは半ば本気だ。


 ベンツなら周囲が道を譲ってくれる。

 万一、ぶつかっても命までは取られない。


「でも、ベンツって高いですよね」

「だからさ、地元の国公立大学に入ったらベンツを買ってやる、といえばいいじゃん」

「そうしてくれたら親としては経済的にも助かります」

「東京の私立に入ったりしたら4年間でベンツ代くらいはかかるだろう」

「そうですね」


 地元の国公立ならベンツ、東京の私立なら何もなし。

 究極の2択だな。


「いくらバイクが欲しいと言っていても、目の前にベンツが来たら黙って乗るだろう、子供も」

「そりゃそうですよ」

「女にもモテるぞ、きっと」

「やっぱりそうですか」

「オレ、ずっと国産車だったから知らんけど」


 よく考えたら1台だけワーゲンのサンタナに乗っていたことがある。

 日産のディーラーで買ったから、外車という意識がなかった。


 この車に乗っていて追突された事がある。

 腰高こしだかだったサンタナのテールに潜り込んでしまった相手の国産車はフロントがグシャグシャになってしまった。

 でも、こちらはリアバンパーがちょっとへこんだだけだ。

 ぶつけられる事を考えると車は丈夫であるにこしたことはない。


「小学校4年生だったら、今からベンツ貯金を始めたらいいんじゃないの?」

「あと8年として、毎年100万円ずつ貯めたら何とかなりますかね」


 毎年100万円の貯金ってのは結構大変だ。


「よしっ、オレもね。お宅の薬をバンバン使うからさ、ぜひ貯金の足しにしてくれ」

「あ、ありがとうございやーす!」


 何処どこにも真実のない会話だったな、これ。

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