第576話 トイレに行けない男 2

「第112話 トイレに行けない男」では、僻地へきち診療所に行った若竹先生について述べた。


 簡単におさらいしておくと……


 若竹先生は都会で自らのクリニックを経営していた。

 が、思うところあって60歳過ぎて僻地診療所に行くことにしたのだ。

 医療機関が枯渇していた村は大歓迎。

 数億円かけて立派な有床診療所を作って待ち構えていた。


 前回はそんな若竹先生の主宰するオンライン講演会でオレは「カルテ記載の工夫」についての話をした。


 今回のお題は「頭部外傷後高次脳機能障害について」で、オレが講演したのは交通事故による様々な障害だ。

 なにしろ頭を打った時の後遺障害には、記憶障害や計算力低下だけでなく、性格変化まである。

 すぐにキレる人になって周囲が付き合いきれない、という悲劇は珍しくない。


 そんな話の後、質疑応答では色々な職種の様々な苦労話が披露された。

 専門性からすると言語聴覚士STや臨床心理士が周囲と患者との接点になるのが良さそうだけど、人間には相性というものがある。

 すぐキレる人でも特定の訪問看護師にだけは敵意を向けない、という事もあったりするのだ。

 だから患者本人と相性のいい人を手掛かりにして周囲や社会との関わりを保つ、というのが現実的な対応のような気がする。

 まだまだ手探りだけど、こういうのがチーム医療なのかもしれない。


 そんな議論の後に、ビックリ僻地物語について再び若竹先生に語ってもらった。


 若竹先生からは苦労話が次から次へと出て来る。


「僻地診療所には立派なCTがあるんですけどね、田舎の人はCTさえ撮れば何でも分かると思いがちなんですよ」


 都会の年寄りはスレているのか「CTじゃない。MRIを撮ってくれ!」と言ってくるが、田舎はCTで満足してくれるだけ純朴だ。


「でもCTってのは撮って終わりじゃないんですよ。読影する必要があるんだけど、全身のどんな部位の読影でもする、なんてできるわけないでしょ」


 若竹先生はそうこぼす。

 そりゃそうだ。

 全身の読影ができたりしたら、それはもはや放射線科医だ。

 いや、本職の放射線科医でも部位と診断装置別に専門が細かく分かれている。


「丸居先生には突然のメールでアドバイスをお願いしたりしましたけど」


 そういや、何ヶ月か前に「これ大丈夫ですか?」という文言もんごんとともに頭のCTが3枚ほどメールに添付されてきたことがある。

 簡単な病歴つきだ。

 一見して何も異常がなかったので「病歴から判断して偏頭痛でしょう」とスマホで返事した。

 後で聞くと、診察中のリアルタイム回答になったようだ。

 若竹先生からはずいぶん感謝された。


「19床あるベッドのうち17床が入院患者さんで埋まっていて、その主治医がすべて僕ひとりなんですわ」


 17人の単独受け持ちってのは考えただけでも大変そうだ。


「警察と親しくなるのはいいんですけど、簡単にAiを頼まれましてね」


 Aiというのは人工知能ではなく、オートプシーイメージングの事。

 変死体を司法解剖する代わりにCTを撮影して死因を探ろうというもの。


「CTを撮影するだけじゃなくて必ず所見も尋ねられるんで、ずいぶん勉強させられましたよ」


 70歳になろうかという年齢で新たな分野の勉強って、それ大変すぎますがな。


「自宅で亡くなりそうだという患者さんには夜中でも車を飛ばして看取みとりに行くわけですけどね。海岸沿いの道は暗いし街灯もないんで運転するのが怖いです」


 もしかしてガードレールもないとか?

 いやはや御苦労さまです。


「診療所で撮ったCTで何か怪しい所見があったら、そのデータをCD-ROMに焼いて近くの県立病院に自分で持っていくんですよ。行ったら色々教えてくれるから勉強になるんですけどね」


 僻地での「近くの」というのは多分、感覚が違うんだろうな。


「近いといっても車で片道1時間かかるから往復したら半日仕事です」


 やっぱり!


 オレも若竹先生を手伝いに行こうかと思ったりしたけど、最寄りの駅からタクシーで8,000円と聞いて、ちょっとひいてしまう。


 考えてみれば、人がいないだけじゃなく交通の便も悪いから僻地なんだろうな。


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