第570話 やっちまった女
「やっちまったな」
オレはそう思った。
超えてはならない一線を超えてしまったのだ。
その日は院内カンファレンスが行われた。
突然死した入院患者について、関係者が集まって議論をする。
関係者だけでなく、職員なら誰が参加してもいいし、何を言ってもいい。
何故患者が死んだのか、それは予想できたのか、果たして防げたのか。
それらの疑問をあらゆる角度から検討し、結論を出す。
もちろん結論が出ない事もある。
入院に至った経過、診断、そして治療だ。
それに加えて、病棟スタッフからも経過説明が行われた。
というのも、布団の中で冷たくなっている患者が見つかったのが朝になってからだったからだ。
すでに死斑があり死後硬直も始まっていた。
だから前夜に就寝した直後に心肺停止を起こしたものと推測される。
なぜ夜の巡視の時にみつけられなかったのか。
夜勤担当者は「よくお休みになっていたので、あえて呼吸の有無を確認しませんでした」という。
その気持ちは良く分かる。
よく寝ているのをうっかり起こしてしまったら、「眠れん、眠れん」と朝まで患者に責められてしまう。
「寝た子を起こすな」というのは入院患者にこそ当てはまりそうだ。
かといって、死斑や死後硬直が出るまで死んでいるのに気づかなかった、というのも恥ずかしい話だ。
病棟師長はひたすら弁明に追われている。
が、問題はそれだけではない。
第一発見者である看護師がドクターコールをするのに15分もかかってしまったのだ。
というのも、すでに死後硬直があったからで、当該看護師の判断で心肺蘇生を控えてしまった。
この事は医学的には間違っていないが、法律的には微妙……おそらくアウトだ。
あらかじめ
それを控えるということは、間接的に死亡確認をしたということになる。
つまり、医師にしか許されていない法律的行為に踏み込んでしまったわけだ。
医療機関の中で起こったことだから、呼べば当直医が2~3分で駆けつけてくる。
にもかかわらず勝手に死んだものと判断して死後処置を始めてしまったのだ。
まさしく「やっちまった」としか言いようがない。
たとえば看護師が1人しかいない離島で医師が来るまで半日かかるという場合なら、見込みのない心肺停止患者に対する大人の対応も許されるだろう。
しかし、都会の医療機関の中で起こったこと、たった3分が待てないはずがない。
その間、形だけでも蘇生処置を行うべきだあった。
事故や災害の報道で、犠牲になった人を表現するのに「心肺停止状態」と表現し、現場では「死亡」と表現しないのはそのせいだ。
犠牲者を医療機関まで運んだ上で、医師が死亡確認をして初めて「死亡」となる。
発見の遅れに加えてドクターコールの遅れ。
どれだけ分厚い再発防止報告書になる事か。
作成にあたる師長はさぞかし頭が痛いことだろう。
御苦労さまです。
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