第567話 弁明する男
オレもたまに電車通勤する事がある。
今朝、駅で会ったのは同じマンションに住む弁護士さん。
仮に名前を
向こうもオレが医者だという事は知っている。
「職場はどちらになるのですか?」
オレは尋ねてみた。
「〇〇町ですよ」
〇〇町というのは裁判所のすぐ近く。
多くの法律事務所が狭いエリアに集中している。
住川さんとの世間話はいつしか裁判員裁判の話題にうつっていった。
「市民の皆さんにはお手数をおかけしています」
住川さんは裁判員として市民に負担をかける事をひたすら恐縮している。
「いや、一般人が法律の仕組みを知るいい機会じゃないですか? 我々はいつも医療裁判で関わっていますけど」
多くの一般市民は裁判に関する基本的な事すら知らないんじゃないかな。
例えば訴えられた時の勝ち負けなんかはどのように決まるのか、とか。
民事裁判での有責の3要件は過失と損害と因果関係だ。
裁判員が参加する刑事裁判についても似たような図式になる。
だから訴えられた時には、相手の示す3要件の何処かを切り崩さなくてはならない。
また、裁判で何か意見を述べるためには、その裏付けとなる証拠かロジックが必要だ。
でなければ、それは単なる感想になってしまう。
そのような枠組みの中で法律的論争をもって白黒つける、という経験を日本人はもっとした方がいい。
アメリカでは高校生の授業にすらモックトライアル、いわゆる模擬裁判が取り入れられている。
「ところで裁判員裁判もかなり経験が蓄積されたと思いますけど、導入する前に予想していたのと違っていた、というところなんかありますか?」
オレは前からの疑問を尋ねてみた。
「制度開始前はですね、極端な思想を持った人が裁判員に
なるほど、ありそうな話だ。
「いざ始めてみると、そういう事は全くなくて。むしろ犯罪に対する一般市民の処罰感情の強さに驚かされました」
これまでの裁判だと、検察の求刑に対して八掛け程度の判決が出ることが多かった。
ところが普通の人間にとっては総じて軽い判決に感じてしまう。
オレにしても同様だ。
人を殺しておいて懲役10年とか13年とか。
何、それ?
軽すぎるじゃん!
そう思ってしまうわけだ。
そういう背景があるせいか、裁判員裁判になると検察の求刑以上の判決が出るようになった。
この事実はたびたびニュースで目にする。
諸外国からの非難にもかかわらず国民の8割が死刑制度に賛成している国だ。
殺意をもって人を死に至らしめた者は相応の報いを受けなくてはならない。
そう思う人が多いのも頷けるし、日本人の処罰感情の表れだろう。
死刑制度を残しておく事にはオレも賛成する。
1つだけ懸念があるとすれば、
死刑を執行した後で「あれは間違っていました」というのでは取返しがつかない。
逆に冤罪の心配がなければ厳罰をもって臨むべきだ。
たとえば、ノルウェー連続テロ事件で77人を殺したブレイビクに対してオスロ司法裁判所は禁錮10年から21年の判決を言い渡した。
現行犯逮捕された犯人に対して、おそらく多くの日本人が「死刑以外の選択肢はない」と思うであろう。
オレも然り。
犯人に対して思うことは、更生するよりも潔い振る舞いだ。
さて、オレなりに裁判員制度導入後に予想と違っていた事を考えてみると……1つだけあった。
それは裁判の後で担当した裁判員が記者会見で色々としゃべる事だ。
これには違和感を禁じ得ない。
やはり「裁判官は弁明せず」だ。
裁判員についても同じ事だろう。
言いたい事があったら、それは判決文に反映させるべきだと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます