第559話 霧のかかる女

 診療看護師の茨城いばらぎくんから電話がかかってきた。


「今、ERにいる人なんですけど、頭部MRIを撮りたいんです」

「どんな状況?」

「視野の左側に霧がかかったと思ったら右眼が痛くなってきたらしくて」

「なるほど」

「頭部CTでは何もなかったんですけど、やっぱり脳梗塞が心配なんですよ」


 発症したばかりの脳梗塞の場合、頭部CTでは病変をとらえられない。

 だからもっと鋭敏なMRIを撮影しようってわけだ。

 その事自体が間違っているわけではないけど……


「それ多分、群発頭痛だと思うよ」

「グンパツ……頭痛?」

「酸素を吸わせたら頭痛が改善するはずだけど」

「だったらMRIは要りませんかね」

「念のために撮っておいたら。ただ、群発頭痛という病名で撮ったりしたら放射線科に怒られるから、くも膜下出血疑いか脳梗塞疑いにしておこう」

「分かりました」


 それから1時間。


 頃合いを見計らってオレは救急外来に行った。


 ストレッチャーに寝ているのは40代の女性だ。

 日直から当直時間帯に変わったので、担当は診療看護師の茨城くんから研修医の哀河あいかわ先生に交代していた。


「あっ、丸居先生。見に来てくれたんですね」

「頭痛はどう?」

「なんか凄く痛いそうなんですよ。頭痛というより右眼の奥の方です」


 オレはストレッチャーに横たわっている中年女性にスマホを見せた。

 スマホの画面には群発頭痛を表現した有名な絵を表示しておいた。


 患者の額の上に乗った小人こびとが眼球に手を突っ込んでいる絵だ。

 眼球に手を突っ込まれた患者は苦悶の表情になっている。


「こ、ここまでひどくはないです」


 中年女性は苦笑いしながらオレたちに言った。


「分かりました。これから酸素を吸ってもらいます」


 オレはいつも診察をする時にはあらかじめ、何をするかを患者に説明することにしている。


「現在の頭痛を10点満点の10点として、酸素を吸ったら何点になるか、それを教えてください」


 そう言って酸素マスクを患者の口に装着し、酸素を10リットルほどの流量で開始した。


「10分ほど酸素を吸入してもらいますよ、いいですか?」

「はい」


 この10分間が暇なので、研修医の哀河先生にクイズを出す。


「哀河先生、一次性頭痛を3つあげてくれ」

「片頭痛と群発頭痛と……あと1つは」

「緊張型頭痛だな」


 オレはあまり質問を引っ張るのが好きじゃない。

 だから、相手が返事に詰まったらすぐに答えを言う。


「その3つの中で1番多いものはどれかな?」

「片……頭痛でしょうか」

「ブッブー、緊張型頭痛だな。日本人全体で2000万人いると言われている」

「そんなに!」


 あくまでも統計上の数字だけどね。


「じゃあ緊張型頭痛になった有名人をあげよ」

「分かりません」


 哀河先生はすぐに降参した。


「孫悟空じゃん」

「あっ、あの金属鉢巻きか!」

「あれこそ緊張型頭痛のイメージにピッタリだろう」


 西遊記の作者は緊張型頭痛に悩まされていたに違いない。

 現代医学をもってすれば少量の三環系抗うつ薬トリプタノールで予防することができる。

 もっとも、西遊記の作者を治療してしまったらあの名作はこの世に生まれなかったかもしれない。



 そんな頭痛談義をしているうちに10分が過ぎた。

 オレは患者に頭痛の程度を確認する。


「さっきが10点としたら今は何点くらい?」

「えっと、4点くらいです」

「ホントですか!」


 哀河先生が驚いている。

 酸素吸入で頭痛が改善したのを目の当たりにしたからだろう。


「じゃあ群発頭痛で決まりだな。でもせっかくMRIも撮影したんで確認だけしておくか」


 頭部MRIは群発頭痛の原因精査には役立たないが、未破裂脳動脈瘤や無症候性髄膜腫ずいまくしゅが偶然みつかることがある。

 撮影した機会にチェックしておくにこしたことはない。



「最近の若いモンは画像診断に走り勝ちだ、もっと身体診察を大切にしろ」という偉い先生たちがいる。

 オレも身体診察は大切だと思っている。

 でも、それはもっぱら省エネのためだ。


 省エネだとか言っているからオレは偉くなれないのかもしれけど。

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