第558話 メンツを保った男
「前に同じような症状の人で、実は脊髄梗塞だったという人がいたんですよ」
必死の形相でオレに
今朝未明に搬入された高齢の女性患者の事で相談してきたのだ。
両足に力が入らなくて歩けないというのがその患者の主訴だった。
「熱はないのか?」
「あります。38度台ですが」
「普通は尿路感染か肺炎だろ、年寄りが足腰立たなくなったというのは」
「そう思っていたんですけど、こないだ他の研修医の
尿路感染や肺炎なら適当に
が、脊髄梗塞だったらそうはいかない。
下半身麻痺で車椅子生活、下手したら寝たきりだ。
卒後間もない研修医に患者の人生がのしかかってくる。
「脊髄のMRIとか、
あのさ、オレは朝の症例割り付けのために救急外来に寄っただけなの。
だから面倒事は御免だ。
……と思ったが、先日の当直委員会で「上級医はもっと研修医を丁寧に指導すべきですよ!」とか、言ってしまったしな。
「先生の疑問を
「そう……いうことになりますね」
であれば、話は簡単だ。
「その辺にある注射針でな、患者さんの足を刺してやれ」
「足を刺すんですか?」
研修医は引き気味だ。
「18Gゲージ
「なるほど」
「それに下肢麻痺があるから、足をひっこめることもしない」
脊髄梗塞なら運動障害と感覚障害の両方が出現する。
だから注射針で刺しても痛くないし、足を動かしたくても動かせない。
「でも、尿路感染だったら単なる脱力だから感覚は残っているはずだろ?」
「そうですね」
「だから針で刺したら『痛てーっ!』となるし、少しは足を引っ込めるはずだよ」
「やってみます!」
そう言って研修医はオレの視界から消えた。
数分後……
「大丈夫です、先生。ちゃんと痛覚もあったし足も動きます!」
「だったら脊髄梗塞ではないし、MRIも不要だな。抗菌薬をぶち込んでおけ」
「そうします、どうもありがとうございました!」
研修医は晴れやかな顔になっている。
脊髄梗塞という最悪の疾患ではなかったということ。
面倒なMRI撮影をしなくて済むということ。
そして何よりも、針1本使うだけで自らこの難局を乗り切ることができた、という喜び。
それらがごっちゃに混ざった表情なのだろう。
知恵をつけたのはオレだが、実際に針を刺してみて反応を確認したのは研修医だ。
人間の体があまりにも理屈通りに反応するのを目の当たりにして驚いたんじゃないかな。
救急外来の夜間当直は理屈抜きに辛い。
でも、新しい技を覚えたという知的興奮は何物にも代えがたいものだと思う。
それに……
当直委員会で偉そうに「研修医をもっと指導すべきだ」と言ったオレのメンツも保たれたってもんだ。
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