第552話 学会場で寝る男

臨床系の学会には全国規模の総会とローカルの地方会がある。

東北地方会とか九州地方会と呼ばれるものだ。


一般にこの地方会が若手医師の登竜門とうりゅうもんとなっている。

オレも若い頃は春秋の地方会や総会で発表したものだ。


今ではすっかり若手の尻を叩く側に回ってしまっている。



そして今日はその地方会。

幸い、学会場は自宅からすぐ近く。

車で20分ほどの所だ。


とはいえ、たまの土曜日まで仕事だってのも正直なところ辛い。

が、前日までスライドを直したり発表練習をしてきた連中の努力を見届けなくては、という気もある。


だから出席する事にした。


行くなら途中からではなく1番最初からだ。

午前8時受付開始の8時半学会スタート。

いっそ7時50分に行って受付の前に並んでやろうじゃないか。

それがオレの美学だ。


やはり朝早くから行くのは気持ちがいい。

各自の渾身こんしんのプレゼンテーションは聴き応えがあり、しかも為になる。

最新の知識を得る喜びは何物にも代えがたい。


が、10演題も聴いていると一時的に意識を消失してしまう。

ふっと気づくと拍手に包まれて発表者が演台から下りるところだったりする。

椅子に座ったまま寝てしまっていたのだろう。


いよいよウチの若手たちの発表が回ってくる。

直前までスライドの1字1句を直したのだ。

うまくいかないはずがない!


……と、なんだか腹が痛いような気がしてきた。

この1番肝心なときに何でまた腹が痛くなってくるわけ?

寄せては返す痛みは確実に悪化してくる。


朝コンビニで買った豚ロースカツサンドがいけなかったのか。


もう若手の発表を聴く余裕がない。

トイレだ、トイレを探さなくては。


しかし、会場の個室はどこも使用中だった。

どいつもこいつも朝は豚ロースカツサンドかい!


仕方なしに会場の向かいの駐車場に戻る。

幸い、そこのトイレは空いていた。

思う存分、下腹部の衝動を開放した後にオレは虚脱した。


もう会場に戻るのが面倒になってきた。

また、衝動がやってくるかもしれんし。

何度もトイレを探すのも面倒だ。


いっその事、家に帰るか?

それならトイレはいつでも使い放題だ。

昼間は家でゆっくりして、また夕方に出かければいいんじゃないかな。


夕方にもウチからの発表があったはずだし。


なに、地方会なんてものはねえ。

最初と最後だけ出ればいいんだよ。


ありったけの言い訳を考えつつ車に乗って家に戻った。

もちろん罪悪感はある。

数百人の地方会参加者は皆、真面目に出席しているはず。

オレの他にも1人か2人は途中で抜ける奴もいるかもしれないけど。

いたとしても少数だろう。


で、罪悪感パワーでパソコンに向かった。

カクヨム作家は常に執筆しなくてはならない。

なぜか後ろめたい気持ちの時に限って筆が進む。


たぶん不倫なんてものも同じだろう。

背徳感が燃料になって燃え上っているんじゃないかな。


知らんけど。


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