第551話 トイレ掃除をする男 3

(前回からの続き)


いよいよイライラ対策にうつる。

なにしろ高次脳機能障害の人は感情のブレーキが甘い。

テレビでちょっと悲しい場面になったらワーワー泣くし、親父ギャグにも大笑いしてしまう。

それだけならヘンな人で済むが、すぐにキレて人生を大きく踏み外す。

友人ばかりか家族にまで去られた人をオレは沢山みてきた。


そこでオレが工夫したイライラ対策の数々。

といっても、あやしげなネット情報にすぎない。

もっともらしい顔をして患者に伝授してはその効果を確認しているだけなんだけど。


まず1つ目は非利ひきを使うこと。


右利きの人が右手ばかり使っているとイライラが抑えられない。

でも、左手を使うよう心掛けると穏やかになれるのだとか。


左手を思うように使えなければ、自分で自分が歯痒はがゆくなる。

だから他人に怒りを向ける余裕がなくなるのだろうか。

色々な患者にアドバイスしたが、その効果はまだ聞かせてもらっていない。


次にトイレ掃除をすること。


会社がうまく行っていない社長が、コンサルタントにもらったアドバイスの1つだ。


「社長さん、まず朝の7時半に出勤しなさい」


コンサルタントにそう言われて、早速、社長は実行した。

朝7時半に出勤している社員がいるのに驚いた、と社長は語っている。


「会社のトイレの掃除をすれば穏やかな気持ちになりますよ」


この社長、言われたとおりに会社のトイレを自分で掃除するようにした。

すると、社員に対して腹が立たなくなったそうだ。


「ということで、自宅のトイレの掃除をしたら奥さんにも子供さんにもイライラせずに済むはずです」


オレがそういうと、早速、患者に反論された。


「家のトイレを掃除したりしたら、僕がするのが当たり前になったりしませんか?」


奥さんとオレは同時にレスポンスした。


「何を言ってるのよ!」

「ないない、そんな事は絶対ないですよ」


僕がするのが当たり前だと?

えてして素人はそういう事を考えがちだ。


「奥さん、御主人には私から説明いたします」


奥さんは大きくうなずいた。


「いいですか? トイレ掃除でも、皿洗いでも、風呂掃除でも……」


オレはもう説教態勢に入っている。


「いくら御主人が頑張ってやったつもりになっていても、奥さんはその3倍はやっているのですよ」


そういうと奥さんが横槍よこやりを入れてきた。


「いえ、10倍です。この人、何もしませんから」


そうかもしれない。


「だからつべこべ言わずにトイレ掃除をしましょう」

「トイレ掃除……って、ホントにイライラが治るのかなあ」


患者は不満そうだ。


「いいですか御主人。私に何か言いたい事があるのなら、まずトイレ掃除を10回やってください」

「えっ? ええ」

「それでもイライラが治らなかったら、次の対策を立てましょう」


おそらくこの患者、10回どころか3回もできないだろう。


そう心の中で思いながらオレは電子カルテに「次回はトイレ掃除を10回やったかどうかを確認すること」と書いた。


非利き手を使う。

トイレ掃除をする。


果たしてそんな事でイライラしなくなるのか?


たとえ効果がなかったとしても人畜無害だ。


もしこれが上手くいけば、一般人にも応用できる。

思い通りに行かない時は、またあやしげなネット情報をあさってみるか。


(トイレ掃除をする男 完)

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