第549話 トイレ掃除をする男 1
電子カルテを見ると「次回は奥さんも一緒に来てください」とあった。
紛れもなく3ヶ月前に自分が書いたものだが、どういう理由だったのかオレ自身も憶えていない。
その患者は40歳前後の男性。
交通事故による頭部外傷だ。
実際には頭部を含む全身の外傷で瀕死の重傷だった。
治療が良かったのか、本人の生命力によるものか。
とにかく奇跡の復活を果たした。
今では元の職場に復帰している。
が、頭部外傷による高次脳機能障害のため、元の彼ではなくなってしまった。
記憶力が悪くなり、つい感情的になってしまう。
ただ、こういう事は本人が自覚していなかったりする。
だから一緒に住んでいる奥さんに来てもらって客観的なところを教えてもらおう、というわけだ……たぶん。
というのも、電子カルテに記載した時の自分には
だから、本当は「奥さんにも来てもらって、自宅での状態を確認するとともに、いくつかの注意点を述べる」などと書くべきなのだろう。
でも、3ヶ月後の自分が何を憶えていて何を憶えていないのか、前もって予想をつけるのは難しい。
だから何でも書いておく努力をしているのだが、当然ながらヌケ・モレも発生する。
さて、奥さんに自宅での状況を尋ねてみた。
「財布やスマホを失くして、いつも探しています」
なるほど、奥さんの言うことは具体的だ。
「私の言ったことをすっかり忘れている事があります。後で訊いても全く憶えていないんですよ」
言われても思い出さない、というのはかなりシリアスな話だ。
「怒鳴ったり暴れたりすることはないんですけど、一瞬、イラッとするのは見ていて分かります」
「それは自宅での話ですよね」
「ええ、職場での事は分かりませんけど」
職場では「イライライラッ」としているのかもしれない。
すでに症状固定による後遺障害認定はすんでいる。
しかるべき損害賠償金も保険会社から支払われた。
だから、これからは困った症状への対策を考えなくてはならない。
「今日、奥さんにも来ていただいたのは、一緒に対処法を考えようという事なんですよ」
「私としては物忘れとイライラがなくなってくれたら嬉しいんですけど」
頭部外傷後にかぎらず、物忘れとイライラを何とかする、というのは全人類共通の課題かもしれない。
もちろん、この全人類にはオレも含まれる。
だから、自分自身が実行している方法を御夫婦に伝授する事にした。
(次回に続く)
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