第548話 悪性脳腫瘍の女

 先日、たまたま読んでいた新聞に出ていた記事。

 ある女流作家が悪性脳腫瘍になってしまったというものだ。


 余命はせいぜい2年。

 5年生存率は16%とのこと。


 脳腫瘍の中でも神経膠芽腫グリオブラストーマという最も悪性度の高いものだろうか。

 オレが医学部を卒業したウン十年前、診断がついた時点での余命は1年くらいだった。

 日進月歩の医学のお蔭て余命が2倍になったものの、それでも2年だ。


 彼女はすでに何度か手術を行い、髪の毛が抜け、手が不自由になってしまった。

 気の毒としかいいようがない。


 ただ1つの救いがあるとすれば、この病気は死ぬときに苦しまなくて良いということだ。


 俗に「脳神経外科に緩和かんわ無し」と言われる。


「緩和? なにそれ」と思う人が多いと思う、


 一般的に癌や心不全の末期には、とにかく痛さや苦しさと戦わなくてはならない。

 そこで色々な鎮痛剤を使ったり麻薬を使ったり。

 あの手、この手で、痛みや苦しみをしのぐ必要がある。

それを緩和医療という。


 ところが脳外科医はあまり緩和医療にかかわる事がない。


 というのも、脳腫瘍の末期というのは徐々に意識が薄れていくからだ。

 徐々に、というのは週単位くらいの感じになる。


 毎日患者の顔を見ていると、さほど変化がない。

 でも、先週に比べると今週の方がボーッとしてきたし、反応も遅い気がする。

 そのくらいの感覚だろうか。


 そして、苦しさよりも幸せそうな表情の人の方が多い。

 だから患者の症状を緩和させる必要がないのだ。

 何か多幸感をもたらすような内因性物質でも出ているのだろうか。


 1度、乳がんの全身転移の患者を手術したことがある。

 脳だけでなく肺にも骨にも癌が転移していた。

 巨大な転移性脳腫瘍で意識も悪い。

 だから開頭して摘出した。

 手術は大成功!


 ところが思わぬ事が起こってしまった。


 なんと意識がはっきりした彼女が「痛い、痛い!」と言い始めたのだ。

 おそらく骨転移のせいで痛みがでたのだろう。

 一体なんのために手術をしたのか、わけが分からなくなってしまった。

 結局、わざわざ手術をして患者に苦痛を与えた事になる。


 いくら苦しんでも、その後に治るならまだいい。

 でも、その時の手術はせいぜい余命を1ヶ月延ばすくらいの効果しかなかった。

 端的に言えば、幸せな1ヶ月を痛みに苦しむ2ヶ月に変えただけの事だ。

 どちらにしても死ぬのであれば、誰でも前者を取るだろう。


 予想できなかったとはいえ、気の毒な事をしてしまった。



 話を元に戻す。


 悪性脳腫瘍の場合、少しずつ病状が進むので、周囲の人たちにお別れを言う時間的余裕もある。


 不治ふちの病になったのは不幸かもしれないけれども、いずれは誰もが死ぬわけだ。

 自分で選べるなら、死ぬ時はこの病気がいいかな、とオレは思う。


 ただこの人、50代かそこらだ。

 まだ、ちょっと早い。

 これが80代なら「寿命に不足はない」と言うこともできるが、50代というのは早すぎる。


 それと手が不自由というのも作家として致命的だ。

 ワープロなんか使えたものじゃない。

 少なくともブラインドタッチで打つ、なんてことは不可能だろう。


 工夫するとすれば口述筆記か。

 最近のスマホの音声入力はよくできている。

 オレもシンプルノートやエバーノートを利用して音声入力することが多い。

 そのままだと読めたものじゃないので、後でパソコンを使って修正している。

 こういう方法が1番効率的ではないかと思う。



 1つの新聞記事から、医師としてモノカキとして、色々な事を考えさせられた。


 彼女には自分の人生を精一杯生きて欲しいと思う。


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